22日朝6時50分、慎叔父さんが亡くなった知らせがありました。満80歳でした。
私とは実際には「はとこ」だそうですが、家も近く毎日のように会えるので、「あんちゃん」と呼んで育ちました。
あんちゃんは明治大学卒業後、地域の鉄道会社に入社しました。「坊やさんが駅の便所掃除をしている…。」村人たちはそう言って心配していたそうです。会社勤めの厳しさです。昇進すると、(駅から自宅までのちょうど真ん中にわが家があるので)、必ず立ち寄って、私の父に報告。
私はたくさんお小遣いをいただき、美味しい物や素敵な事をいっぱい体験させていただきました。
高校の合格発表は見に行かないで、叔父さんの電報を待ちました。上履き靴から長靴まで、土浦のお店を買い歩きました。制服は自分の行きつけのテーラーで作ってくれました。私の制服は紳士服の仕立てでした。英語の辞書が必要と言えば、次の日には買って来てくれる。
子どもがいなかった叔父さんは私にそうしてくれることで、親らしい楽しみを味わったのでしょう。
土浦駅前のお肉屋で上等のお肉を求め、自宅で焼いて御馳走してくれました。叔母さん達も私たちに「どんな焼き加減に致しましょうか?」と聞いてから焼いてくれます。コーヒーをサイフォンで淹れて、角砂糖にブランデーをかけて火をつけて…。
香蘭社の美しい食器もたくさん見ました。「京子ちゃんは器が好きだから…」と次々に新しい器で御馳走してくれました。
ゴルフの帰りには「アクタガワ」のゴルフボールチョコレートがおみやげでした。
私が中学3年生の冬。夜お勉強しているのに、庭の方からみんなが呼びます。「卓球しよー。降りておいでー」夕ご飯の後、叔父さんは和服の袖にチョコレートを入れて、遊びに来ては、卓球したり、人工芝の室内練習セットで、練習しました。お母ちゃんがゴルフは一番上手でした。
お母ちゃんが「慎叔父さんは紳士だね。」と言った事があります。それはお父ちゃんが留守の日には上がらないで帰ることを、言っていました。
元日に朝のお雑煮を食べると、お父ちゃんと叔父さんはお揃いの防寒着を着て、霞ヶ浦に釣りに行きました。父がゴムボートを持っていて、だいぶ釣りを楽しみました。
大人になってからは、京王プラザで御馳走してくれました。
今でこそ世の中の事を知るのに、テレビが教えてくれますが、私はこの叔父さんに質問して教えてもらいました。
ああ、偉大な叔父さんを失くしてしまいました。
今日は通夜。明日がお葬式です。