相変わらず、日曜日の朝日新聞の読書の欄をチェックしています、ほとんど読書しなくなったけどね。
少し前から始まった〈悩んで読むか読んで悩むか〉と言う人生相談がなかなか面白いです。
作家(三浦しをんさん)や精神科医(斉藤環さん)、俳優(石田純一さん)、タレント(壇蜜さん)他詩人や書評家等の方々が、
読者の悩みに対してこの本を読んで見ては?と読んだら参考になりそうな本を薦めながら相談に乗るという形式で
毎回、なるほどね~、と私は感心してしまう。
今日の悩みは、
ー残りの人生やりたいことやろう!と、早期退職した元教師の方がふと気づくと後は老いしか残っていないと思うと気が滅入る、何か元気になれる本を紹介してくださいー
というもの。
精神科医の斉藤環さんは江上剛さんの『55歳からのフルマラソン』を薦められていて
ー自分もこの本を読んで51歳からフルマラソンに出るようになりました。この年齢で身体能力が向上するのは喜ばしい事、そして記録が伸びるのも楽しみー
と、説きながら、もう一冊、村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』を挙げられていて
走ることで老いに抵抗しようと言うのではなく、老いの迎え方についても言及されています。
村上春樹さんは、加齢とともにかつてのように走れなくなった自身について繰り返し書いていて
その上で「そのような自分の姿を、言うなれば自然の光景の一部として、あるがままに受け入れていくしかない」と述べているそうです。
この言葉は含蓄のある言葉ですね。
老いに抗いたくなる時もあるけれど、でもそのことを受け入れずにあがくのも見苦しく感じるし、
受け入れていくしかない、このいくしかないがいいです。
年を重ねるって素晴らしい!なんてことも思えないけれど、それを否定するのも自分を否定しているみたいでいやだし、やっぱり受け入れていくしかないですよ。
齋藤さんは、最後に
ー「老い」の過程をしっかりと受容するために走るということ。そうせよと言いたいわけではありません。
ただ私は、そのような形で、ランニングから勇気づけられているという事実をお伝えしたかったのです。-
と書いていらっしゃいます。
押し付けるのではなく私はそうなんですよ、と言うさりげなさに優しさを感じます。
ランニングじゃなくてもいいんでしょうね、何か夢中になれそうなものを見つけるのもいいんじゃないでしょうか?と言う事だと思います。
でも、何か夢中になれるものと言った漠然とした言葉ではなく、はっきりランニングと具体的に例を出してくださっているのも説得力がありました。
面白い記事、と思ったら結構切り抜いたりするんですが、このコーナーも切り取っておけばよかったわ、とちょっと後悔しています。
まぁ、切り抜いても滅多に読み返したりしないんですけどね
堅い内容になっちゃったでしょうか?
ちょっと和らげるために最後にセリーヌフォレスティエの写真を貼っておきます。
折角いい子でうちに届いたのに、今年は我がベランダでうどん粉病が蔓延していたためにすっかりセリーヌもうどん粉に
何とか一輪咲いてくれました、、、。
探してみたらデジタル版がありました→こちら
少し前から始まった〈悩んで読むか読んで悩むか〉と言う人生相談がなかなか面白いです。
作家(三浦しをんさん)や精神科医(斉藤環さん)、俳優(石田純一さん)、タレント(壇蜜さん)他詩人や書評家等の方々が、
読者の悩みに対してこの本を読んで見ては?と読んだら参考になりそうな本を薦めながら相談に乗るという形式で
毎回、なるほどね~、と私は感心してしまう。
今日の悩みは、
ー残りの人生やりたいことやろう!と、早期退職した元教師の方がふと気づくと後は老いしか残っていないと思うと気が滅入る、何か元気になれる本を紹介してくださいー
というもの。
精神科医の斉藤環さんは江上剛さんの『55歳からのフルマラソン』を薦められていて
ー自分もこの本を読んで51歳からフルマラソンに出るようになりました。この年齢で身体能力が向上するのは喜ばしい事、そして記録が伸びるのも楽しみー
と、説きながら、もう一冊、村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』を挙げられていて
走ることで老いに抵抗しようと言うのではなく、老いの迎え方についても言及されています。
村上春樹さんは、加齢とともにかつてのように走れなくなった自身について繰り返し書いていて
その上で「そのような自分の姿を、言うなれば自然の光景の一部として、あるがままに受け入れていくしかない」と述べているそうです。
この言葉は含蓄のある言葉ですね。
老いに抗いたくなる時もあるけれど、でもそのことを受け入れずにあがくのも見苦しく感じるし、
受け入れていくしかない、このいくしかないがいいです。
年を重ねるって素晴らしい!なんてことも思えないけれど、それを否定するのも自分を否定しているみたいでいやだし、やっぱり受け入れていくしかないですよ。
齋藤さんは、最後に
ー「老い」の過程をしっかりと受容するために走るということ。そうせよと言いたいわけではありません。
ただ私は、そのような形で、ランニングから勇気づけられているという事実をお伝えしたかったのです。-
と書いていらっしゃいます。
押し付けるのではなく私はそうなんですよ、と言うさりげなさに優しさを感じます。
ランニングじゃなくてもいいんでしょうね、何か夢中になれそうなものを見つけるのもいいんじゃないでしょうか?と言う事だと思います。
でも、何か夢中になれるものと言った漠然とした言葉ではなく、はっきりランニングと具体的に例を出してくださっているのも説得力がありました。
面白い記事、と思ったら結構切り抜いたりするんですが、このコーナーも切り取っておけばよかったわ、とちょっと後悔しています。
まぁ、切り抜いても滅多に読み返したりしないんですけどね
堅い内容になっちゃったでしょうか?
ちょっと和らげるために最後にセリーヌフォレスティエの写真を貼っておきます。
折角いい子でうちに届いたのに、今年は我がベランダでうどん粉病が蔓延していたためにすっかりセリーヌもうどん粉に
何とか一輪咲いてくれました、、、。
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