富山市の中心街総曲輪通り入ってすぐの「川豊」半世紀以上続く人気の老舗のうなぎ専門店です。富山といえば氷見の寒ブリ、白えびなど鮮度抜群の海鮮が楽しみですが最後はやはり〆の鰻重でした。(写真は「鰻重(竹)」4,800円(税込))・・・「割烹 本田」を目指しましたが残念ながら定休日でした。
漫画家の藤子不二雄A先生は氷見市の出身!比美町から中央町の商店街の通りは「まんがロード」と呼ばれ、藤子不二雄A先生の作品であるキャラクターのモニュメントや富山湾の魚を擬人化したキャラクター(氷見のサカナ紳士録)に出会うことができます。
氷見出身の藤子不二雄A先生がデザインした氷見市のマスコットキャラクター「ひみぼうずくん」は氷見の海からやってきた愉快な海ぼうずのこども。いつも釣り竿を持ちブリをかかえています。
氷見のおいしいものが集結している氷見の食文化発信施設が「ひみ番屋街」です。氷見漁港場外市場 ひみ番屋街では「天然のいけす」と言われる富山湾の新鮮な海の幸を堪能できます。番屋海鮮丼(カンパチ、マグロ、スズキ、カジキ、サーモン、イカ、タコ、甘海老、鯛、イクラの刺身を氷見米で炊いたご飯の上に盛り合わせたもの)&朝獲れ「かぶす汁」(魚のあら汁)が美味かったです。
「氷見の寒ブリ」で知られる海辺の街、氷見市。海岸沿いのこの上ないロケーションに「氷見漁港場外市場 ひみ番屋街」と「氷見温泉郷 総湯」があります。展望広場からは富山湾越しにそびえる立山連峰と氷見市沖に浮かぶ唐島を一望できますよ。
北前船交易で栄えた岩瀬。現存する廻船問屋の家並みは、当時「バイ船」(北前船)で蓄えた財を生かして贅沢な建物を建てたのです。廻船問屋は、「岩瀬の五大家」と呼ばれた馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家があり、資料館として公開されるのが「北前船廻船問屋森家」です。 森家の隣に並んで建つのは東岩瀬最大の廻船問屋だった馬場家。その独特な建築方法は「東岩瀬廻船問屋型家屋」と呼ばれています。
江戸時代には日本海や北海道の港から江戸や大坂(大阪)へ、米や魚などが船で運ばれていました。船は瀬戸内海をとおって大坂、江戸へ向かう西廻り航路か、津軽海峡をとおって江戸へ向かう東廻り航路を利用しましたが、西廻り航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました。なぜ北前船と呼ぶのかについては、北廻り船がなまったという説、北前とは日本海の意味で日本海を走る船だからという説など、いくつかあります。 北前船としてつかわれた船は、当時、貨物船として広くつかわれていた「弁才船」と呼ばれる船でした。
富山市には、富岩運河、岩瀬運河、住友運河の3つの運河が開削され「運河都市」にもなっています。東岩瀬の町並みを挟んで富岩運河と反対側を流れる岩瀬運河。富岩運河の旧舟だまりを利用した親水公園には「古志の人魚像」があります。
富山市には、富岩運河、岩瀬運河、住友運河の3つの運河が開削され「運河都市」にもなっています。富岩運河を囲むように広がる富岩運河環水公園には、世界一の景観に選ばれた「スターバックス コーヒー富山環水公園店」があり、泉と滝の広場とならんで富岩運河環水公園のシンボル施設の天門橋の展望塔からは、立山連邦や環水公園全体が一望できます。
佐々成政や富山藩主前田家の居城。本丸跡にたつ天守は犬山城を模して、昭和29年に復興したもの(天守閣が存在しなかった富山城にシンボル的に建立した模擬天守閣)で内部は富山市郷土博物館です。富山城の唯一の千歳御門は、創建当初の建造物は三間薬医門といわれる城門建築です。