3.11の大津波で、全校児童108人のうち74人の子どもたちと10人の教師が犠牲になった、石巻市立大川小学校のことはマスコミでもたびたび取り上げられたので多くの人の記憶に留まっていると思います。
ニュースで見た、行方不明の子どもさんを重機を使って捜し続けるお母さんの姿が今も目に浮かび、本当に気の毒で胸が痛かったのを思い出します。
でも、改めてこの本を読み、あの事故は「人災」であったという思いを強くしました。
地震の直後、「山へ逃げよう」と言っていた児童が何人もいて、実際山へ駆け上った児童もいたのに、先生に連れ戻されていた…
津波が襲ってくるまでの約50分間、子どもたちは校庭で待機させられていた…
ようやく避難を開始したのは、津波が到達する1分前だった…
目撃者の証言から、次々と大川小学校の悲劇の真実が明らかになっていくけれど、市教委がその後何度か開催した保護者説明会で説明した内容は、真実とは程遠く、遺族に不信感を抱かせるものばかり…
生き残った児童から聞き取った調査報告書から「山へ逃げよう」と言った子どもたちの情報が削除されていたり…
唯一生き残った教諭の取った当時の行動が、目撃者の証言と全く食い違っていたり…
「メモは捨てました」「メールは削除しました」「忘れました」「記憶がはっきりしません」と言うばかりの市教委の対応には明らかな隠蔽工作、責任逃れが疑われるのです。
特に、震災時、年休をとり学校に不在だった校長の非常識な言動には、こんな人が校長だったのか…と強い怒りが湧いてきました。
行方不明の子どもたちの捜索の様子を一度も見に行かなかったことも驚きでしたが、震災からまだ2週間あまり、行方不明の子どもたちを捜す人たちで騒然としていた時期に間借り先の学校で登校式を強行し、「友達は少なくなったが、笑顔がいっぱいの学校を作ろう」と子どもたちに呼びかけたらしいのです!あまりの無神経さに唖然としてしまいました!!!
報道でこのことを知った遺族の方たちは、強い違和感を覚え、「学校から突然置き去りにされた気がした」と書かれています。当たり前ですよね!
奇跡的に生還した、5年生男児の父親(長女、妻、父の3人を失う)が、非常識な校長や誠意を示そうとしない教育委員会を相手に真相の究明、防災マニュアル作りに奔走するのは、亡くなった家族3人のためと、生き残った息子に「大人の背中を見せてやらねば」という強い思いから……
この方の、校長や教育委員会に対する以下の思いにすべてが表されていると感じました。
「素直に遺族に『申し訳ありませんでした…』と、謝ってさえくれれば……。嘘でもいいから、泣きながら子どもたちの遺体の捜索を一緒にしてくれていれば…。
学校も教育委員会も、子どもが亡くなった遺族の気持ちを逆なですることしかしませんでした。自分はずっと、『なぜ自分の子どもを亡くして、家族を亡くして、こんな仕打ちを受けなきゃならないのか』と思い、頑張ってきました。『絶対に間違っている!!!』。それを正そうと頑張ってきました」
遺族の方たちは、唯一生き残った教諭を責めたり非難したりする気持ちはなく、ただただ真実を知りたい、子どもたちの死に意味を持たせたい…という当然の思いで、市教委側にも対話の場つくりをしようと呼びかけています。
そんな遺族の方たちに誠意ある対応ができない市教委について、本書では次のような分析を行っています。
「これだけの非常事態にあっても、遺族に寄り沿った対応ができずにきてしまっているのは、指導主事という出世コースを歩んでいる先生たちの間で組織の都合やお互いの立場を優先するあまり、本来持ち合わせているはずの個の良い部分や、教育者として育んできたものが、発揮できなくなってしまっているせいではないだろうか。」
大津市でのいじめ自殺問題のときにも露呈されましたが、教育委員会って、何のために存在するのでしょうか……
知れば知るほど、日本的な組織内部の負の部分が見えてきて、やるせない気持ちになりました。
84人の子どもたちと先生方の死を無駄にしないためにも、真実が検証されることを願わずにはいられません。
ニュースで見た、行方不明の子どもさんを重機を使って捜し続けるお母さんの姿が今も目に浮かび、本当に気の毒で胸が痛かったのを思い出します。
でも、改めてこの本を読み、あの事故は「人災」であったという思いを強くしました。
地震の直後、「山へ逃げよう」と言っていた児童が何人もいて、実際山へ駆け上った児童もいたのに、先生に連れ戻されていた…
津波が襲ってくるまでの約50分間、子どもたちは校庭で待機させられていた…
ようやく避難を開始したのは、津波が到達する1分前だった…
目撃者の証言から、次々と大川小学校の悲劇の真実が明らかになっていくけれど、市教委がその後何度か開催した保護者説明会で説明した内容は、真実とは程遠く、遺族に不信感を抱かせるものばかり…
生き残った児童から聞き取った調査報告書から「山へ逃げよう」と言った子どもたちの情報が削除されていたり…
唯一生き残った教諭の取った当時の行動が、目撃者の証言と全く食い違っていたり…
「メモは捨てました」「メールは削除しました」「忘れました」「記憶がはっきりしません」と言うばかりの市教委の対応には明らかな隠蔽工作、責任逃れが疑われるのです。
特に、震災時、年休をとり学校に不在だった校長の非常識な言動には、こんな人が校長だったのか…と強い怒りが湧いてきました。
行方不明の子どもたちの捜索の様子を一度も見に行かなかったことも驚きでしたが、震災からまだ2週間あまり、行方不明の子どもたちを捜す人たちで騒然としていた時期に間借り先の学校で登校式を強行し、「友達は少なくなったが、笑顔がいっぱいの学校を作ろう」と子どもたちに呼びかけたらしいのです!あまりの無神経さに唖然としてしまいました!!!
報道でこのことを知った遺族の方たちは、強い違和感を覚え、「学校から突然置き去りにされた気がした」と書かれています。当たり前ですよね!
奇跡的に生還した、5年生男児の父親(長女、妻、父の3人を失う)が、非常識な校長や誠意を示そうとしない教育委員会を相手に真相の究明、防災マニュアル作りに奔走するのは、亡くなった家族3人のためと、生き残った息子に「大人の背中を見せてやらねば」という強い思いから……
この方の、校長や教育委員会に対する以下の思いにすべてが表されていると感じました。
「素直に遺族に『申し訳ありませんでした…』と、謝ってさえくれれば……。嘘でもいいから、泣きながら子どもたちの遺体の捜索を一緒にしてくれていれば…。
学校も教育委員会も、子どもが亡くなった遺族の気持ちを逆なですることしかしませんでした。自分はずっと、『なぜ自分の子どもを亡くして、家族を亡くして、こんな仕打ちを受けなきゃならないのか』と思い、頑張ってきました。『絶対に間違っている!!!』。それを正そうと頑張ってきました」
遺族の方たちは、唯一生き残った教諭を責めたり非難したりする気持ちはなく、ただただ真実を知りたい、子どもたちの死に意味を持たせたい…という当然の思いで、市教委側にも対話の場つくりをしようと呼びかけています。
そんな遺族の方たちに誠意ある対応ができない市教委について、本書では次のような分析を行っています。
「これだけの非常事態にあっても、遺族に寄り沿った対応ができずにきてしまっているのは、指導主事という出世コースを歩んでいる先生たちの間で組織の都合やお互いの立場を優先するあまり、本来持ち合わせているはずの個の良い部分や、教育者として育んできたものが、発揮できなくなってしまっているせいではないだろうか。」
大津市でのいじめ自殺問題のときにも露呈されましたが、教育委員会って、何のために存在するのでしょうか……
知れば知るほど、日本的な組織内部の負の部分が見えてきて、やるせない気持ちになりました。
84人の子どもたちと先生方の死を無駄にしないためにも、真実が検証されることを願わずにはいられません。