それから本当に長い年月が過ぎ去りました…
このブログに投稿していた当時、家庭状況は決して平穏ではなく、追い詰められ、苦しみ、どこかに救いを求め、歯を食いしばって生きていましたが…
何年かのちには、きっとこの苦しみは和らいで、穏やかな気持ちで過ごせているのではないか…という微かな望みも抱いていました…
でも……10年近い時が過ぎた現在(2023年12月)、さらに状況が悪化しているとは…人生は本当に過酷です…
また、このブログを書き続けることができること…
なんとか心の平安を取り戻しつつあること…
あ~。。。なんとか私はがんばっている…
頭の中が真っ白でからっぽになり…
目の前が真っ暗になり…
身体が絶望感で鉛のように重くなり…
もうダメ! もうおしまいだ!って思っても…
そんなときは、だれかに救いを求める余裕もない…
助けて!って気持ちを伝えるにも気力が必要なんだということを思い知らされた…
そんなときでも、必ず新しい朝がやってきて…
太陽が昇ってきた…
心の中で涙をこぼしながら、渦巻く不安感を隠しながら、日常生活をこなしていく…
少しずつだけど、落ち着きを取り戻し…
顔を洗い、ご飯を食べ、歯を磨き、服を着替え、外へと飛び出す!
何も望まない、平凡な日常、時間が静かに過ぎていき、娘が笑っていてくれる…
ちっぽけな…愛しい日々がこれからも続いていってくれますように…
私と私の家族の周りにいてくれ、支えてくれた人たち…
本当にありがとう!!!
娘Sの大学受験も無事に終わり、合格通知書が届きました。
(指定校推薦入試を受けさせてもらったので、もし落ちたら高校に顔向けできないところでした!)
実技試験は4曲とも気持ちよく弾け、楽典も全部できたとのこと…
面接では、「音楽以外に得意なことは?」ときかれ、「人を笑わせることです」と答えたら、面接官の先生方にうけたらしい…
別の音楽大学を受験したクラスメートのMちゃんは、面接で「ベートーヴェンは何曲ピアノソナタを作曲しましたか?」「シューベルトは?」…等、顔が歪んでしまうような厳しい質問を次々とされ、「わかりません…」と言うしかなかったらしく、娘Sに「もう、私、死んだほうがいい~!」と嘆いていたらしい…(普段のMちゃんをよく知っているので、Sからその話を聞いて大爆笑してしまった私です! もちろんMちゃんは見事に合格し、今では笑い話なんですが…)
それに比べると、娘Sの受けた大学はなんとあったかい雰囲気なんでしょう!
娘は夏期講習で親しくなったお友達と試験の間中一緒に行動していたので、私はゆっくりと娘のマンションを探したり、横浜トリエンナーレを観て回ったり、中華街を散策することができました。
気になっていたマンション探しも、音大生用の防音が施された、(横浜では)格安の物件が運よく見つかり、仮契約を済ませました。
横浜では、金沢八景に住む大学時代の友人に久しぶりに再会することもでき、相変わらずの超前向きで楽天的な生き方に元気づけられ、大笑いし、「なんとかなる!」と励ましてもらいました!…アン☆ありがとね!!
夫の体重減少は、52キロでなんとか食い止めたけれど、体重が増えるほど食欲はなく、相変わらず不調で、一緒に過ごす時間が長い休日は、こちらもどうしようもなく気が滅入るときがあります…
これから我が家はどうなっていくのか、真剣に考えれば暗くなるばかりです…
でもとりあえず娘の進路が決まったことで、1歩前に進めたことを感謝し、明日に希望を持って生きていこうと思います。。。
今日の岡山は、最高気温38度!という気が遠くなるような猛暑でした!
そんな中、自分にとってとても大きな意味を持つ、一つの体験をしました。
毎週日曜日の夜、野宿生活をしている方たちに食事を配給している「岡山・野宿生活者を支える会」の活動に参加したのです。
ボランティア活動などかかわったことがない私が、なぜそんなことをする気になったかというと…
毎週「社会と人間」という講義科目を教えに来てくださる市場恵子先生がくださった、1枚のチラシがきっかけでした。
市場先生は現在社会心理学講師・カウンセラーという肩書きですが、我が家の娘たちが小学生のころはCAPのワークショップでお世話になったこともあります。
毎週先生がメールで送ってこられる講義資料を、受講学生の人数分印刷し、用意しているのですが、その資料があまりにおもしろいので、印刷しながら毎回こっそり熟読させてもらっていました。(DV、ジェンダー、セクシュアリティ、いじめ、虐待、差別など興味深い内容ばかりです)
そして、資料を受け取ったことを連絡する際、メールに短い感想を書いて返信すると、先生は必ず長文の、誠実な内容(映画のことや自分の家族のこと…)のお返事をくださり、いつも恐縮すると同時に、先生のお人柄に惹かれるようになりました。。。
そんなある日、いつものように講義に来られた先生が
「ホームレス支援体験&北村年子さんのお話」という催しのチラシをくださり、、「よかったら娘さんと一緒にどうぞ」と誘ってくださったのです。
北村年子さんは、市場先生の仲良しのお友達で「とってもいい人」とのこと…
岡山カトリック教会の厨房で炊き出しをし、その後車に分乗して南方公園、城地下に行き、ホームレスの方たちと交流 → カトリック教会に戻り、炊き出しの食事で夕食 → 北村年子さんのお話 というプログラムです。
最初迷いました…こういう慈善事業をやっているのはやっぱり教会に通う信者の人たちが中心…私はキリスト教に全く興味がないし、ボランティア精神にも乏しい…そんな人たちの集団に入っていけるのだろうか???
でも、信者ではない市場先生も来られるし、何か、今までの自分の生活範囲から離れたところにあった世界との新しい出会いがあるかも…何か自分の中で新たな発見があるかもしれない…
中学に入って、急に激しい反抗期に突入し、憎たらしい口答えを繰り返すようになり、小学校時代のあの穏やかな優しいTちゃんはどこへいってしまったの~??と家族を嘆かせている娘Tも、何かを感じてくれるかもしれない…
…というわけで、あまり気の進まない不機嫌な娘Tを無理やり車に乗せ、親も少し緊張しつつ、カトリック教会へ直行!!
17時前に着いたらもう5、6名の方たちが厨房で調理をしておられました。
きょうはカレーを作るとのことで、たまねぎ、なす、じゃがいもや鶏肉を切るお手伝いをしました。
家ではめったに包丁を握ることのない娘Tが、大忙しのカレー作りの流れの中にまじり、じゃがいもや肉を一生懸命切っています。
18時30分には南方公園、19時には城地下で待っていてくれるホームレスの方たちに届けるため、急いで作らなければならないのに、今日は材料の手配が遅れたり、油が見つからなかったりしたため、煮込むのに時間がかかったようです。
それにしても、こういう炊き出しを毎週欠かさず続けておられることには頭が下がります。季節ごとに1度とか月に1度じゃないんですよ!毎週毎週なんですよ!!……
炊き出しに参加されておられる方たちはどういう人たちなのか、ほとんどお話する時間がなかったのですが、カトリック教会の方とプロテスタント教会の方たちが宗派を超えて、協力し合っておられるとのこと…
女性議員さん2人も差し入れに来られていました。(私もタオルやうちわ、麦茶を持っていきました)
それから、過去にホームレスを経験された方たちも何人か手伝いにこられていました。
車に分乗し、たくさんのなべを乗せ、予定時刻を少し過ぎて配給場所に到着!すでにホームレスの方たちが大勢集まっておられます。
私と娘はカレーのルーをつぐ役を与えてもらい、できるだけたくさんいろんな具が入るように気をつけながら、おいしく食べてもらえるように祈りながら、並んでくださっている一人ひとりに「どうぞ」と手渡していきました。
私達がカレーを配っている間に、事務局の方や元牧師さんたちは、ホームレスの方たちの中に入って会話されています。薬やタオル、古着や靴なども必要な方に差し上げています。…いろんな境遇の方たちがおられて、毎週顔を合わせて親しくなっても、なかなか自分のことを話してはくれないと元牧師さんが言っておられました。
集まって来られたホームレスの方々は南方公園も城地下もそれぞれ30人くらいでしょうか…
今日のお手伝いをする前、精神的にはやる気満々だったのですが、ただ一つ、自分がホームレスの人たちを生理的に受容できるのだろうか…というのが(本当にお恥ずかしいのですが)、少し心配でした。
だけど、実際に集まって来られた方たちは、本当にごく普通の、街中を普通に歩いておられるような方たちばかりでした。若いイケメンのお兄ちゃんもいれば、上品なワンピースを着たお年をめした女性も…。
自分の抱いていた偏見を恥じると同時に、普通に生活していた方たちが、ちょっとした人生の歯車の狂い、軋みからホームレスになってしまうという恐さを思い、これは人ごとではない!と痛感しました。。。
ゆっくりする間もなくカトリック教会へもどり、私達もカレーをいただいた後、今度は北村年子さんのお話です。
透き通るように色が白く、スマートな北村さんは、最初見たとき女優さんかしらと思ったくらい素敵です☆…そんな北村さんの語り口は優しく穏やかで、それでいて人を惹きつけて放さない、ポイントを押さえた話し方で…1時間半があっという間に過ぎていました。
最初に、北村さんご自身のお父様が実際ホームレスとして生活しておられたことを、ルポライターとしてホームレスの問題に取り組み始めた後(10年ほど前)に始めて知り、運命を感じた…と話されたのですが、この出だしからもう、私は胸が一杯になり、涙がこぼれないように目をしばたたきながらの1時間半になりました。
お話の中心は、1995年大阪の道頓堀川で起きたホームレス殺人事件についてでした。
事件は最初、道頓堀川に架かる橋の上に寝ていたホームレスの男性を、若者2人がかつぎあげて川に投げ落として殺したとされていましたが、実際はゼロと呼ばれる若者1人による犯行で、精神的な弱さから警察の厳しい誘導尋問に迎合してしまい、仲間の青年を無実の罪におとしいれてしまっていたことが後からわかってきます。
そしてゼロくん自身も「橋の子」と呼ばれる、橋の上で寝泊りする居場所のない若者で、てんかんの持病のため学校ではいじめられ、職場はすぐにクビになり、社会からはじき出されてしまった、ホームレスの人たちと同じ「弱者」だったのです。弱者同志、接点があったからこそ、弱い自分への嫌悪感が、自分と同じ土壌にいるホームレスの男性へと向けられ、起きてしまった事件だったのです。いじめられ、差別されて生きてきたゼロくんには「自尊感情」が欠けていたと北村さんは分析されます。
「自分に価値がある」と思えない気持ちから、自分より弱く低い位置にだれかを置き、攻撃することで「自分の価値」を確かめ、保障し、奪われた「自尊心」を取り戻そうとする行為…これこそが「いじめ」であり、北村さんはそれゆえ「自尊感情」がどれほど大切であるかを強調されています。
最後に拘置所にいるゼロくんが北村さんに宛てた手紙を読んでくださったのですが、ゼロくんが仲間の少年の無実を証明するために控訴する決意が書かれていて、自分に対する自信を取り戻そうとする勇気が感じられ、またまた胸が一杯にになりました。
講演のあと、もっと詳しくゼロくんのことが知りたくて、北村さんの著書「ホームレス襲撃事件」を購入しました。見開きに北村さんがサインしてくださり、私と娘の名前の横に、「幸せでありますように」と書いてくださいました。うれしかった…☆
帰りの車の中で、娘Tといろいろ話しました。Tはホームレスの方たちがあのままでいいのか、それをとても心配していました。
たった1日、ほんの少しお手伝いしただけなので、現状を理解したとはとても言えないけれど、心を揺さぶられるお話が聞けたし、ホームレスの方たちから「ありがとう」と言ってもらえたこと、そして反抗期の娘が何かを感じてくれたこと…とても大切なものをいただいた1日だった気がします。
ホームレスの方たちのことを考えるとき、これから帰宅してお風呂へ入り、クーラーのきいた部屋でゆっくり眠ろうとする自分がどこか偽善的に思えて、ちょっと苦しかった…
でも1回きりのボランティアではなく、これからもできるだけ、この取り組みに参加させてもらおう、それが今最大限自分にできることだ…と考えることにしました。今度は上の娘も誘ってみるつもりです。
娘が学校から「人権ハンドブック」なるものをいただいてきた。学校で全員に配られたらしい。
岡山市人権推進室が発行した、18ページからなるパンフレットだ。
カラフルな明るい色使いの冊子で字も大きく、見出しはさらに大きな字で強調してあり、興味を引くレイアウトになっている。
黄緑色の表紙には大きな字で「The Personal is Political 一人ひとりの意識が変わると、社会が変わる」と書かれている。
なにげなくページをめくると、1ページ目からカウンターパンチをくらってしまった!!
『父と子が乗り合わせていた乗用車が事故に遭いました。残念ながら父親は即死。ひん死の重傷を負った少年が病院に運び込まれました。その少年を見るなり病院の医師は大声で叫びました。「この子は私の息子だ!」と。さて、少年と医師は、どういう関係だと思いますか?』
???…
「どうして父親が2人もいるの?」と、頭の中が??でいっぱいになり、何が何だかわからなくなりませんでしたか?私もそうでした!
この質問の答えは「医師は少年の母親」なのです!!
医師という職業は「男性」の職業という固定観念があって(実際、人数的に言えば圧倒的に男性が多いとは思いますが)、「医師は母親」という考えが全く頭に思い浮かばなかった…ということは…無意識のうちに「男性だから、女性だから」といった役割分担意識をしっかり身につけてしまっているんですねぇ~!
このページの最後には、「性別にかかわらず、社会や個人の固定観念だけで物事を判断したり、人を評価してしまうことはないでしょうか」と書かれています。
次のページは、「そうだよな~!!」と大いに共感した内容でした!!!
『共働きの夫婦が、久しぶりに夕食をともにしました。会話もはずみ、夕食を終えたところで、夫が「皿洗い手伝うよ」と言って立ち上がりました。すると妻が、それに応えて「ありがとう。でも…」と話し始めたのです。さて、この後、妻は何を言おうとしたのでしょうか。』
『「妻も働いて疲れているのだから、手伝おう」と夫は素直に思ったのでしょう。一見思いやりがあるやさしい夫のようですが、夫の意識の中には「皿洗い(家事)はもともと妻の仕事」という思い込みがうかがえないでしょうか?もしかすると、妻はこの意識に異議を唱えたかったのかもしれません。』
と書かれており、このページの最後は「男女が共に個性や能力を十分に発揮できる男女共同参画社会について、職場や家庭で話し合ってみませんか」と結ばれています。
うんうん!これには本当に強く賛同します!
特に私と夫は、時間的にも量的にも同じ程度の仕事をしているので、家事も平等に分担してほしい!という思いが強いのです!!
ただ、現在の夫(仕事に行って帰るだけで精一杯、休みは1日中寝たきり状態)に家事を手伝え!というのは酷なので、家事も子どものことも全部1人でやってますが…(だからストレスもたまる~!)
この後のページにも、いくつかわかりやすい事例を挙げながら、子ども、高齢者、外国籍市民、障害のある人…に対して、無意識のうちに傷つけたり、固定観念や世間体にしばられて人権を侵しているのではないか、と問題提起されています。
読みやすくて理解しやすい内容だったので、さっそく娘Sに上記のページを読ませてどこが問題なのか考えさせてみました。そうしたら、とてもおもしろかったらしく、「Tちゃん(ボーイフレンド)に読ませて(試して)みる~!」と言っていました。
これからの若い人たち一人ひとりが、(もちろん若くない私たちもですけど)、人権問題を自分のことと意識し、社会を変えていけたらいいですね!!
我が家も、いつの日か夫と、またこういう話し合いができるようになったらいいな…
まだまだ当分先になりそうですが…