Peace of Mind を求めて…

悲しいことがあっても、必ず新しい朝は来るのですよね

「カフェ Z」へ

2012-11-23 22:43:31 | カフェ・レストラン
前々から行きたかった「カフェZ」へやっと行ってきました。

このカフェはアートギャラリーも併設していて、素敵なセンスの若手作家さんの作品展をいつも開催されているので、興味津々だったのですが、なかなか行く機会がなく…今日は久しぶりに自分の時間がゆっくり持てたので、夫も誘ってお茶を飲みに出かけました。



全面ガラスの明るい入口を入ると中は広々としていて、長テーブル、ソファや3・4人がけのテーブルが気持ちよく配置されていて、どこに座っても居心地が良い雰囲気です。



奥に併設されたギャラリーでは、安達知江 硝子展が開催されていましたよ。
写真は撮れなかったので…お店のブログに掲載されている作品を観てくださいね☆

独特の技法で作られているようで…ガラスの上からクレヨンで色を塗ったみたい。。。クリスマスにぴったりな、北欧のイメージのかわいらしい作品がいっぱいでした。

コーヒーの苦手な私が頼んだのは。。。「ショコラキャラメル」です。


お抹茶をいただくような和テイストのおっきなおわんに、なみなみとそそがれて出てきました。
これがとっても濃厚で。。。
全部飲み干すと、なんだか晩ごはんがいらないくらいお腹がいっぱいになりましたよ。

隣の方が食べていたランチ?がとってもおいしそうだったので、次回はお昼を食べにきたいな~

お土産

2012-11-19 21:41:47 | 
胆のう摘出のため、再入院していた夫が、手術後3日で退院し、帰ってきました。

手術は、おへその下(2センチ)、脇腹2カ所(1センチ)と胃のあたり(1センチ)の計4カ所を切ったようですが、傷口は縫わず、白いテープで貼り付けてあります。

手術前には担当医から、画像を使って十二分な説明があったので手術に心配はなく、安心してお任せすることができました。

傷口が小さい分、身体への負担も少なく回復も早いのでしょうか。それほど疲れた様子も見せず、帰宅したその日には夕食を作って待っていてくれましたよ

そして…
お土産に持って帰ったのは…

ジャーン!!!


アサガオの種とツバキの種で~す☆

んなわけない~!!!(笑)

これが・・・夫の胆のうの中で大切に?育てられていた「い・し」で~す。

小さいのが24個、大きいのが6個……合計30個もつまっていたんですよ!!!
大きさも形も、アサガオの種とツバキの種にそっくり~!!!

あんまりにもたくさの石だったので、見た瞬間、え~!!!???っと笑ってしまいました。

長い年月をかけて作られていたんですね。。。

なんか自分の分身みたいなので、記念としてお土産にもらって帰った夫なのでした。

胆のうを摘出しても、特に食べ物に気を付ける必要はなく、普通になんでも食べていいですと言われたんですよ。

来週1度通院で手術の傷を診ていただき、約1ヶ月後にもう一度2日ほど入院して体内に残してある管を取り除くようです。

とりあえず、手術が終わり、ほっとしています。


福島第一原発20キロ圏内のペットレスキュー

2012-11-17 23:23:09 | 
震災後、原発から20キロ圏内に取り残された動物たちがどうなったのか…ずっと気になっていました。
マスコミが当時、置き去りにされた牛たちが餓死していることを報道していて、ショックを受けましたが、その後、動物たちのことを心のすみに残したまま日常生活にまぎれてしまっていました。

でも…やっぱりどうしても心の奥でひっかかっていて…つらくなるのはわかっていたけれど、やっと図書館で2冊の本を探し出してきて読みました。

のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録 (太田 康介 著:飛鳥新社)



報道カメラマンの太田康介さんが、東日本大震災直後の3月30日を皮切りに、避難区域となった原発から20キロ圏内に何度も足を運び、取り残された動物たちの姿を撮影した本です。

そこには、人恋しくてごはんよりもスキンシップを求めてくる犬、悲しいほどにやせ、エサにむしゃぶりつく猫たち、庭につながれたまま息絶えている犬たち、6匹もの野犬たちと闘い、血だらけ傷だらけになりながら烏骨鶏を守り抜いていた忠犬……悲しく、愛おしい犬や猫たちの姿が写されています…

ショッキングな写真もたくさんありました…

死体が累々と積み重なる中でわずかに生き残っている馬や豚たち、餓死した仲間の死体の中でやせ細り足腰が弱ってへたり込み、糞尿にまみれている牛たち、何かを訴えるかのような悲しげなその目……地獄です

そして、5月に太田さんが再び牛舎を訪れたとき、新たな地獄絵図が引き起こされていました……誰かが柵を開けて牛たちを自由にしたことで、水を求めた牛たちが用水路に落下し、出られなくなり息絶えていたのです…沼に入り込み、はい上がることができずに死んでいった牛たちも…

ごめんよ、ごめんよ、と謝りながら写真を撮り、チクショー、チクショーと呻きながらシャッターを切り、「私は無力です」「畜生は、私たち人間の方だ」と叫ぶ太田さんの気持ちが痛いほど伝わってきて、何度読んでも大泣きしてしまいます。

太田さんは牛たちの結末を見届けるため、6月にも再び牛舎を訪れるのです。
「牛舎には、生きているものは何もいませんでした。前回、大量発生していた蛆さえすでにいなくなっています。夕日に照らし出されているのは、毛と骨のみ。あれだけ必死に鳴いていた牛たちは、そんな姿になってしまいました。用水路にも白骨化した牛の死骸がありました」
「牛たちの悲劇の責任を、私たち人間はとらなくてはいけないと思い、必死で写真に記録しました」と太田さんは書かれています。

惨い写真を見続けることは、私にとって拷問でしたが、これは見なくちゃいけないんだ!目をつぶっちゃいけないんだ!…と思い、力なく悲しそうな目でこちらを見つめる牛や豚たちのくずれおちた姿と対峙しました。

わんわん泣きながら読み、苦しくなりながら写真を見つめた本でしたが、最後にほんの少し救われるページがありました。
「出会った動物たちのその後」と題し、助け出された動物たちがその後、ボランティア団体に保護され元気になり、命をつなぎ、飼い主さんと再会できたり、里親さんが見つかったりした様子が、写真と共に記されていました……悲しかった心が、少しだけ救われました。

この太田康介さんと、別の本の中で再会することができました。

森絵都さんが書かれたおいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー (文藝春秋)です。


この本は、犬の保護活動を扱ったノンフィクション本を手がけたこともある森さんが、震災後、福島でペットレスキューを続ける中山ありこさんのブログを読み、彼女の同行取材という形で福島第一原発から20キロ圏内に入り、レスキュー活動する女性たち、彼女たちが保護した犬猫たち、見つけ出した飼い主や里親・預かりボランティアさんたちのことを追い続けた記録です。

福島でペットレスキューをしているのは、40代女性がほとんどなのだそうですが、その中で数少ない男性ボランティアとして太田さんが登場します。
女性陣が命がけでレスキューを続けるその原点を追及していくと「母性」にたどり着いたことから、男性の原動力はいったい何なのか知りたいと思った森さんが、太田さんに取材を申し込まれたのです。
本題を切り出した森さんに、太田さんは次のように答えておられます。

「あのう、じつは…私はですね、うちのカミさんから、おばさんって言われるんですよ」
「まあ、つまり、その…母性ってことですかね」「かわいそうって、ただそれだけです」

確かに太田さんのブログを拝見すると、かわいいネコさんたちの、思わずにんまりしてしまうようなユニークな写真が満載で、優しさにあふれたコメントがつけられています。

そんな太田さんが、餓死した牛たちの写真を撮影したときのことを語られるのを読んで、また泣いてしまいました…

「あるとき、一人である牧場へ行ったら、がりがりに痩せた乳牛が50頭くらいいたんです。僕の顔を見るなり、喉が渇いた、お腹が減ったって、一斉に訴えてくるわけですよ。僕は一人だったから、牛対僕、で自分が人間代表になってしまう。でも、一人で受けとめるにはあまりにも相手がでかすぎて、あまりにもたくさんいて、何もできない、してやれない、と。もう泣くしかないとおんおん泣きましたね」

その後、太田さんは知り合いのボランティア4人をその場へ連れて行き、草を集め、裏に流れていた川と牛小屋を3時間かけて20往復して水を運び、牛たちを助けてやったそうです。しかし、その後そこも立ち入り禁止になり、牛50頭はほとんど全滅したそうです。

森さんが同行取材したレスキューを続ける女性たちは、放射能の危険性も承知で、違法行為であるため警察のとりしまり検問に神経をすり減らしながら20キロ圏内に立ち入り、過酷な状況の中で生き残っている犬や猫たちを助けだしています。
森さんも、本当のことを書いていいものかどうか悩まれたようですが…中山ありこさんの言葉が印象的でした。

「自分のしていることは正しくないかもしれない。でも間違ってはいない」 

中山さんたちは増え続ける保護猫たちのため、福島に猫シェルターを設立され、今現在もレスキュー活動を続けておられます。本当に頭が下がります。

レスキュー活動の様子は、中山ありこさんのブログ太田康介さんのブログに詳しく掲載されているので、これからもずっと読ませていただこうと思います。

何もお手伝いできないけれど、1匹でも多くの命が助かるように、ときどきは寄付もさせてもらおうと思っています。


石だった。。。

2012-11-07 21:24:41 | 
4年ほど前から、腹痛に苦しめられてきた夫。。。

1ヶ月に数度、その痛みは突然襲ってきて…
みぞおちあたりを押さえたまま、えびのように丸くなり、声も上げずその激痛に耐えている夫の姿は人を寄せ付けない凄みをおびていて…
見ているのもつらいけれど、どうしてあげようもなく…
背中を一生懸命なでてあげても気休めにしかならず、「もういいよ」と言われるだけで…
ただただ痛みが過ぎ去ってくれるのを待つしかありませんでした…

その当時うつ病の治療で通っていたクリニックの先生に相談すると、胃が専門の開業医を紹介され、そこで胃カメラを飲んで検査したのですが、結果は「異常なし」。

このため、この胃痛はうつ病から来ているんだな。。。精神的なストレスが原因の痛みだから、うつ病が良くならないと治らないんだな…
耐えていくしかないんだな……と、ず~っと思い込んでいました。

そして、この10月……またまた激痛に見舞われ、朝まで眠ることができなかった夫は、なんとか出勤したもののあまりの痛みに耐えかね、以前胃カメラを飲んだクリニックを再度訪れたのでした。

そこでの超音波検査で下された診断は。。。「胆のうに石がありますね」

えっ!!! 激痛はそれが原因だったんですか…!!! 胃じゃなくて、胆のうにできた石が原因だった!!!

激痛は、結石が動いて、胆のうの出口や胆管の十二指腸への出口にはまってしまったときに起こっていたようです。
胆のうに、まだたくさんの石があることもわかりました!

なんでもっと早く病院へ行かなかったんだろう!!!…4年間苦しみぬいて耐えてきたのはなんだったのか…
精神的なストレスが原因と決めつけていたことが本当に悔やまれます……最初に病院へ行ったとき、胃と断定せず、もっと詳しく腹部を検査してもらっていたら……今さら言ってもしかたがありませんが。。。

すぐに大きな総合病院を紹介され即入院し、胆管に入り込んでいる石を除去することとなりました。
口から内視鏡を入れ、結石を取り除いてもらった後、十二指腸に傷がついていないか確認のため5日間入院し、毎日3食おかゆを食べ、抗生剤の点滴を1日中行いました…ここまでは、内科の担当なんですね。お腹を切っていないので、夫は普通に元気で、退院するときも、自分でタクシーに乗って帰って来ましたよ。

そして、まだまだ終わってないんです~
来週、再入院して、胆のうを摘出することになっています。これは外科の担当です。
胆のうの中に石もたくさんあるし、これからもまたできるかもしれないので、取ってしまった方がこれから先安心ということなのでしょう。
胆のうは摘出してしまっても、特に身体に影響はないらしいのです。脂っこい食事は控えた方がいいそうですが…。

毎日仕事帰りに病院へお見舞いに通うのは、高校生の娘Tやリンのこともあって大変ですが、もうひと頑張りです。

なにより、お父さんのために、横浜から上の娘Sが夜行バスで帰ってきてくれるのが頼もしいです。
心配しなくても大丈夫だよと言ったのですが、お父さんのそばについていてくれるようで…

この手術が終われば夫は、これまでいつ起きるかわからなかった激痛の恐怖から開放され、もっと明るい表情を見せてくれるようになるかも…