震災後、原発から20キロ圏内に取り残された動物たちがどうなったのか…ずっと気になっていました。
マスコミが当時、置き去りにされた牛たちが餓死していることを報道していて、ショックを受けましたが、その後、動物たちのことを心のすみに残したまま日常生活にまぎれてしまっていました。
でも…やっぱりどうしても心の奥でひっかかっていて…つらくなるのはわかっていたけれど、やっと図書館で2冊の本を探し出してきて読みました。
『のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録』 (太田 康介 著:飛鳥新社)
報道カメラマンの太田康介さんが、東日本大震災直後の3月30日を皮切りに、避難区域となった原発から20キロ圏内に何度も足を運び、取り残された動物たちの姿を撮影した本です。
そこには、人恋しくてごはんよりもスキンシップを求めてくる犬、悲しいほどにやせ、エサにむしゃぶりつく猫たち、庭につながれたまま息絶えている犬たち、6匹もの野犬たちと闘い、血だらけ傷だらけになりながら烏骨鶏を守り抜いていた忠犬……悲しく、愛おしい犬や猫たちの姿が写されています…
ショッキングな写真もたくさんありました…
死体が累々と積み重なる中でわずかに生き残っている馬や豚たち、餓死した仲間の死体の中でやせ細り足腰が弱ってへたり込み、糞尿にまみれている牛たち、何かを訴えるかのような悲しげなその目……地獄です
そして、5月に太田さんが再び牛舎を訪れたとき、新たな地獄絵図が引き起こされていました……誰かが柵を開けて牛たちを自由にしたことで、水を求めた牛たちが用水路に落下し、出られなくなり息絶えていたのです…沼に入り込み、はい上がることができずに死んでいった牛たちも…
ごめんよ、ごめんよ、と謝りながら写真を撮り、チクショー、チクショーと呻きながらシャッターを切り、「私は無力です」「畜生は、私たち人間の方だ」と叫ぶ太田さんの気持ちが痛いほど伝わってきて、何度読んでも大泣きしてしまいます。
太田さんは牛たちの結末を見届けるため、6月にも再び牛舎を訪れるのです。
「牛舎には、生きているものは何もいませんでした。前回、大量発生していた蛆さえすでにいなくなっています。夕日に照らし出されているのは、毛と骨のみ。あれだけ必死に鳴いていた牛たちは、そんな姿になってしまいました。用水路にも白骨化した牛の死骸がありました」
「牛たちの悲劇の責任を、私たち人間はとらなくてはいけないと思い、必死で写真に記録しました」と太田さんは書かれています。
惨い写真を見続けることは、私にとって拷問でしたが、これは見なくちゃいけないんだ!目をつぶっちゃいけないんだ!…と思い、力なく悲しそうな目でこちらを見つめる牛や豚たちのくずれおちた姿と対峙しました。
わんわん泣きながら読み、苦しくなりながら写真を見つめた本でしたが、最後にほんの少し救われるページがありました。
「出会った動物たちのその後」と題し、助け出された動物たちがその後、ボランティア団体に保護され元気になり、命をつなぎ、飼い主さんと再会できたり、里親さんが見つかったりした様子が、写真と共に記されていました……悲しかった心が、少しだけ救われました。
この太田康介さんと、別の本の中で再会することができました。
森絵都さんが書かれた
『おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー』 (文藝春秋)です。
この本は、犬の保護活動を扱ったノンフィクション本を手がけたこともある森さんが、震災後、福島でペットレスキューを続ける中山ありこさんのブログを読み、彼女の同行取材という形で福島第一原発から20キロ圏内に入り、レスキュー活動する女性たち、彼女たちが保護した犬猫たち、見つけ出した飼い主や里親・預かりボランティアさんたちのことを追い続けた記録です。
福島でペットレスキューをしているのは、40代女性がほとんどなのだそうですが、その中で数少ない男性ボランティアとして太田さんが登場します。
女性陣が命がけでレスキューを続けるその原点を追及していくと「母性」にたどり着いたことから、男性の原動力はいったい何なのか知りたいと思った森さんが、太田さんに取材を申し込まれたのです。
本題を切り出した森さんに、太田さんは次のように答えておられます。
「あのう、じつは…私はですね、うちのカミさんから、おばさんって言われるんですよ」
「まあ、つまり、その…母性ってことですかね」「かわいそうって、ただそれだけです」
確かに太田さんのブログを拝見すると、かわいいネコさんたちの、思わずにんまりしてしまうようなユニークな写真が満載で、優しさにあふれたコメントがつけられています。
そんな太田さんが、餓死した牛たちの写真を撮影したときのことを語られるのを読んで、また泣いてしまいました…
「あるとき、一人である牧場へ行ったら、がりがりに痩せた乳牛が50頭くらいいたんです。僕の顔を見るなり、喉が渇いた、お腹が減ったって、一斉に訴えてくるわけですよ。僕は一人だったから、牛対僕、で自分が人間代表になってしまう。でも、一人で受けとめるにはあまりにも相手がでかすぎて、あまりにもたくさんいて、何もできない、してやれない、と。もう泣くしかないとおんおん泣きましたね」
その後、太田さんは知り合いのボランティア4人をその場へ連れて行き、草を集め、裏に流れていた川と牛小屋を3時間かけて20往復して水を運び、牛たちを助けてやったそうです。しかし、その後そこも立ち入り禁止になり、牛50頭はほとんど全滅したそうです。
森さんが同行取材したレスキューを続ける女性たちは、放射能の危険性も承知で、違法行為であるため警察のとりしまり検問に神経をすり減らしながら20キロ圏内に立ち入り、過酷な状況の中で生き残っている犬や猫たちを助けだしています。
森さんも、本当のことを書いていいものかどうか悩まれたようですが…中山ありこさんの言葉が印象的でした。
「自分のしていることは正しくないかもしれない。でも間違ってはいない」
中山さんたちは増え続ける保護猫たちのため、福島に猫シェルターを設立され、今現在もレスキュー活動を続けておられます。本当に頭が下がります。
レスキュー活動の様子は、
中山ありこさんのブログや
太田康介さんのブログに詳しく掲載されているので、これからもずっと読ませていただこうと思います。
何もお手伝いできないけれど、1匹でも多くの命が助かるように、ときどきは寄付もさせてもらおうと思っています。