M K

遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

北九州 戸畑(1)

2012年04月29日 10時30分00秒 | ◇福岡
私娼街→赤線
昭和4年、業者数81、娼妓数318
昭和30年、業者数93、娼妓数279

 
[左]洋瓦とタイルが特色のカフェー建築。二階中央の金具は袖看板のなごりだろうか。
[右]玄関の上部。優美なカーブを描く壁にすき間なく貼り付けられたタイルが映える。


玄関まわりのごてごてした石材と、きれいに塗り直された外壁とのギャップが強烈。
腰の手前に積み上げられている黒ずんだレンガは、はたして当時のものなのだろうか。


トタンやモルタルに覆われた和風建築。トタンやモルタルも相当な年季が入っている。
なんらかの客商売を営んでいた長屋だろうと推察できるものの、具体的な業種は不明。

 
どことなく不思議なフォルムをした物件。引き戸の配置もやや不自然に見える。
唯一サイディングを施されていない腰まわりは、茶褐色のタイルで統一されている。

 
和風建築の前面をリフォームし、カフェー調に改めた建物。
腰や床がタイル張りになっているほか、白塗りの部分にもタイルの凹凸が見て取れる。


角を切った和風建築。渋い色調のタイルは、当初からの装いではないかもしれない。
窓の小ささと少なさが奇異な印象を与えるが、何か理由があるのだろうか。


小料理店の長屋。当時の遊客は、こういった店で一杯引っかけてから登楼したのだろう。

北九州若松 新地

2012年04月29日 09時30分00秒 | ◇福岡
私娼街→赤線?
昭和4年、業者数61、娼妓数244


国道199号線沿いにある和風建築。
妓楼という雰囲気ではないものの、二階の繊細な出格子に惹かれて撮影。

 
一見なんの変哲もない長屋のようでいて、どことなく気になる雰囲気をただよわせている。
入口の数はなんと六つ。そのうち四つが中央に固まっている。


庶民的な居酒屋があちこちに点在している。新地だった時代のなごりだろうか。
奥に見えるちどり横丁は、複数軒の飲み屋が入った長屋建築。


角を切ったデザインが気になる物件。トタンによるサイディングがうらめしい。
平行に延びる二階の庇が一風変わっている。こういう構造は二重庇と呼べるのだろうか。

 
こちらもトタンで覆われているが、屋根に目を向けると、帆船を模した棟飾りを発見。
二階の屋根が微妙にカーブしており、まるで建物全体がふくらんでいるかのように見える。

 
二棟の細長い建物が並んでいるように見えて、実際はつながった一軒。
左側がタイル貼りになっているが、もともとの装飾ではないように思えた。

 
相当手を加えられていながらも、本来の和風建築の意匠がところどころに残っている。
一の字つなぎが見事な欄干や、あまり見ない色づかいのタイルが印象的だった。

北九州若松 連歌町

2012年04月29日 08時30分00秒 | ◇福岡
遊廓→赤線
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数110


連歌町跡の標柱。「葦平文学散歩」とある。
火野葦平は若松出身の小説家だが、遊廓とのかかわりはつかめなかった。

 
表の通りには何も残っていないようなので、路地に重点をおいて探索。
さっそくカフェーを思わせる建築物が現れた。奥に引っ込んだ入口が意味ありげに映る。

 
カーブを描く入口。こういった曲面に石材をあしらうのは非常に難しいと思われる。
建物全体の装いも見てみたかったが、残念ながら白いトタンに覆われてしまっていた。


和風建築をリフォームしたとおぼしき現役のそば屋。
平側のモルタル様の外壁は明らかにリフォームの結果と思われるが、その意図は不明。

 
小料理屋だろうか。手作り感のあふれる壁面装飾や擬木など、全体的にチープな印象。
とはいえ、結果的に記憶に残る外観に仕上がっているのだから、狙いは成功だろう。


中川通りを挟んだ向かい側。こちらにも往年の歓楽街を偲ばせる光景が広がっていた。

 
若戸大橋口交差点の近くで、「銘酒街」と記された電柱プレートを発見。これにはびっくり。
「銘酒屋街」じゃないぞ、と頭を冷やしつつ周辺を探る。正体は飲み屋の集合店舗だった。

北九州小倉 旭町

2012年04月29日 07時00分00秒 | ◇福岡
遊廓→赤線?
昭和5年ごろ、業者数30、娼妓数250

現役の風俗街。けっして広くはない地域の中に様々な風俗店が混在している。
比較的新しい建物が多く、明らかに遺構と断定できる物件は見つからなかった。

 
[左]小倉駅南口を出て、ペデストリアンデッキの西端から見下ろした光景。
[右]反対側から。風俗店からテレクラ、カラオケ店、ビジネスホテルまで揃っている。


ストリップ劇場にビデオルーム。まさしくなんでもありだ。

 
建物の側面にも入口が設けられている。いくつかの店は現役のようす。
近づいてみると、奥まった入口に丸椅子が一つ。昔はもしや……と想像がふくらむ。


ポルノ専門のレトロな映画館。
「I」が男女のポルノ、「II」が男性同士のポルノを扱っているらしい。


わずかながら年季を感じさせる建物が残っている。

 
旭町(現在の船頭町)の風俗業のメインジャンルともいえるソープランドの密集地区。
呼び込み店員の姿は見あたらない。関東地方と違って早朝営業がないのだろう。

 
旭町で唯一注目の和風建築。外装は地味ながら、場所が場所だけに気になる建物だ。
入口の上部には洋裁研究所の看板が残っている。それ以前はどうだったのだろうか。

北九州小倉 京町

2012年04月29日 06時30分00秒 | ◇福岡
青線
旭町に寄り添うようなその立地から、旭町の遊客を狙った青線街だったと想像できるが、
旭町の戦後の状況がいまひとつ定かでないため、断言はできない。

 
通りに並ぶのは、居酒屋、風俗店、弁当屋など、雑多な店舗の数々。
店と店のあいだにはアーチの骨格が残り、さらにその奥へと路地がつづいている。

 
路地。小店舗がひしめき、各店から袖看板が突き出ている。典型的な青線街の光景だ。
それにしても荒れ方がひどい。いつなくなってもおかしくない。


石材をあしらった入口まわり。スタッコ仕上げのような外壁は看板の跡だろうか。

 
赤線でも通用しそうな、しっかりした造り。青線跡で出格子を目にするとは思わなかった。
赤紫色にくすんでしまっている壁も、かつては鮮やかな色彩で人目を引いたことだろう。

 
荒れていて最初は気づかなかったが、青線にしては堅実な造りの建物が多い。
奥へ進むと、風流な飾り窓が現れた。開け放たれた戸の内側はタイル張りになっている。


この組合は、おそらくもう存在しないのだろう。


きれいにサイディングされているものの、どことなく奇妙なフォルムが見て取れる。
現役の店という雰囲気はない。いまは住居として利用されているのかもしれない。

北九州小倉 大正町

2012年04月29日 06時00分00秒 | ◇福岡
赤線
渡辺寛『よるの女性街・全国案内版』(昭和30年発行)によると、「三本松・大正町界隈に
50軒、170名」とある。大正町は現在の馬借、三本松は現在の古船場町。

昨日訪れた三本松と同様、決定的な遺構は一つも見つからなかった。
このあたりの遺構はすでに全滅しているのかもしれない。


電柱のプレートに大正町の名前。場所は間違えていないようで、ひと安心。

 
増改築を何度もくり返したとおぼしき三階建て。どちらかといえば青線的なたたずまい。
駐車場になっている敷地にも類似の建物が並んでいたとしたら……と妄想。

 
狭い路地にたたずむ洋装店。斜めに引っこんだ入口が気になった。


奇妙な外観をしている。純和風の入母屋屋根、洋風の外壁、そして倉庫風のトタン張り。
建物は非常にきれいに使われており、奇妙さがいっそう際立つ。

 
一見平屋建てのように見えるが、裏手からのぞくと、奥が二階建てになっていた。
欄間に整った装飾が施されている一方、垂木が妙に粗末(失礼)なのが不思議に思える。


どっしりとした和風建築。重厚なたたずまいに惹かれて撮影したが、妓楼ではないだろう。

 
和風建築を大胆にリフォームしたハンバーガーショップ。
格子窓や下見板といった本来の意匠も健在。市松模様のタイルも往時の所産だろうか。

北九州小倉 三本松

2012年04月28日 18時30分00秒 | ◇福岡
赤線
渡辺寛『よるの女性街・全国案内版』(昭和30年発行)によると、「三本松・大正町界隈に
50軒、170名」とある。三本松は現在の古船場町、大正町は現在の馬借。

細い路地まで入念に探索したものの、これといった遺構は残っていないようだった。


古船場町と紺屋町に挟まれた通り。にぎわうのは夜になってからだろう。

 
この間口で、この入口の数には驚かされる。左端の入口だけ洋風にアレンジされている。
二階の欄干は、ところどころパーツが欠落しているようだが、ユニークな配列だ。


風変わりな建物。看板に「男性クリニック」とあるが、風俗店なのだろうか。

 
年季を感じさせる看板建築。入口が多い。店舗兼住宅と思われる。

 
車が一台通れるくらいの路地に、レトロな木造建築が向かい合う一画があった。
娼家を思わせるような艶っぽいムードはないが、その風情に惹かれてカメラを向けた。

 
上記の路地からもう一軒。玄関が多少凝っているとはいえ、何かの店という趣ではない。


川沿いのラブホテル。赤線とのつながりはあるのだろうか。

北九州門司 新町

2012年04月28日 16時00分00秒 | ◇福岡
赤線
昭和30年ごろ、妓楼数6、娼妓数不明


新町という地名は消滅したが、電柱のプレートにその名を見ることができる。

 
[左]竪板張りと白漆喰が映える。右隣にも最近まで遺構があったのだが。無念。
[右]反対側から。裏口なのか勝手口なのか、質素な装い。側面には丸窓が見られる。


カフェー調のファサードを持つ建物が路地に三棟。道幅が狭く、アングルに苦労した。

 
[左]上記三棟のもっとも手前。モザイクタイルが白眉。妖しげな赤電球は当時のものか。
[右]三棟の奥側。女体をモチーフにしたくり抜きの意匠は、ほかに例のない逸品だ。

 
三棟の反対側。和風だったり三階建てだったりと、表情がまったく異なるのがおもしろい。
広い道路に面しているのはこちらだが、遊里という視点で考えると、表口は逆側だろう。


窓や欄干に工夫がうかがえる和風建築。一階の青い壁がアクセントになっている。
手前の鉄柱も味わい深い。さび方から推測すると、やはり往時のなごりであろうか。

 
当時の流行だったのか、この界隈では、二重庇を持つ建物をあちこちで見かけた。
一階に目を転じると、親子式の出格子にひし形の連続模様という独特の組み合わせが。

北九州門司 馬場

2012年04月28日 15時00分00秒 | ◇福岡
遊廓→赤線
明治27年開設
昭和5年ごろ、業者数15、娼妓数150
昭和30年、業者数18、娼妓数67


電柱を見上げると、プレートに馬場の名前が残っていた。
「馬場」の由来は不明。ありし日の地名なのか、はたまた遊廓固有の名前なのか。

 
複雑な構造をした建物。相当改築されているようで、当初の姿を想像するのは難しい。
玄関まわりは小料理屋風の装い。巴瓦を見ると、鷹と松のレリーフが施されている。


年代ものの木造建築が建ち並ぶ。かなり直されているが、当時から建物と思われる。
右奥にはラブホテルが見える。このホテルもまた、遊里の残照のひとすじだろうか。

 
解体中の物件。遺構かどうかは、さらっと見た感じでは微妙なところか。
もう少し時間をかけて観察したかったが、作業の邪魔になるので、早々に切り上げる。


フォルムが気になりカメラを向けたが、あらためて見ると、見当違いだった気もする。
どれもこれもが遺構のように思えてしまうのは、遊里探訪者におなじみの症状だ。

 
角地に残るカフェー建築。凹凸のついた正面と、教会アーチ風のくぼみが印象的。
赤レンガは近年付け足されたものらしい。かつては白一色のデザインだったのだろうか。

 
旅館風の木造建築。重厚感をただよわせながらも、気軽に立ち寄れそうな雰囲気。
注目は、正方形とひし形を組み合わせたユニークな丸窓。内側からの様子も見てみたい。