Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ポンキッキを見て

2008年10月23日 | 家・わたくしごと
 朝、何気なくBSフジをつけたら、ポンキッキをやっていた。正確には「Beポンキッキ」で、この番組、「ひらけ!ポンキッキ」から少しずつ名前を変えながら、今なお続いている子ども向け番組である。NHKの「おかあさんといっしょ」をかなりシニカル、かつブラックユーモア的に仕上げた子ども番組「ポンキッキシリーズ」は、私のお気に入り番組の一つ。
 この番組、なんといってもきわめつけは、その音楽である。ひらけ!ポンキッキ時代からビートルズ、スティービー・ワンダーなんてのは当たり前で、私の記憶ではキャンディーズまで使われていた。とにかく、これ子ども向け?と思ってしまうほど、ラディカルな選曲なのである。ちなみに今日、テレビをつけたとき、画面では子どもがイスに座って体操をしていたが(これは絶対NHK「テレビ体操」のパロディである)、なんと音楽はビートルズのLet It Beだった。きっと子どもにロックをすり込ませているんだ。これをビートルズと知らずに大人になると「あっ、ポンキッキの歌だ!」なんて言っちゃうはずである。
 ポンキッキに後ろ髪を引かれながらも、それを振り切り大学に行って、視聴室からLet It BeのCDを借りてきた。久しぶりに聞くCDである。ちなみにこのレコードは中学時代から三枚買い直したが、どれももう聞き潰してしまった。そのため録音されてセッションの合間にしゃべっている言葉まで覚えている始末である。
 なんで息子は「みんなのうた」で育ってしまったんだろう。そのせいか、ビートルズの歌なんて今なおほとんど聞いたこともないはずだ。ところで、ポンキッキには「Pちゃん」が登場していたことをみんなは知っているかい?

自慢の一品

2008年10月22日 | 家・わたくしごと
 ガムラン関係者の皆様に自慢の一品は、バリのガムランのパングル(ばち)のキーホルダー。7月のチャロナランのとき、来日したバリ人にこのキーホルダーを持っている人がいたのです。
「いいなあ。どこで買ったの?」
「これ、結婚式の参加のお礼でもらったんだよ。特注したものらしいよ。」
 と、そんな会話を聞いていた別のバリ人のおじさんが
「おれ、作れるよ。ほんとうに欲しいわけ?」
「まじに欲しいよー」と私たちはおねだり。
 おじさんは「じゃあ、バリに帰ったら皆に作ってあげるよ」
 と言ってくれたのだった。
 驚くなかれ、有言実行!9月にバリで、全員分のキーホルダーを受けとったのだった。だから、沖縄のガムラン関係者は全員もっていて、ここでは希少価値なし。しかし東京のガムラン関係者のお友達のみなさん!この前の音工場の発表会で6人くらいには自慢しちゃいましたが、「いいでしょう、かっこいいでしょう?」
 ちなみに写真のもう一つのキーホルダーは、京都のTINTINショップで買った大切なもの、そしてUMBROのカバンは、去年のクリスマスにサンタさんからもらったんだよ。これもちょっぴり自慢。

「あなたたち」への想い

2008年10月21日 | 家・わたくしごと
 ぼくは、「わたし」をいつも助けてくれている「あなたたち」に心から感謝しています。いつも、いつも、ぼくの知らないところで、遅くまで仕事をしてくれていて・・・そんな中から出来上がった形に「わたし」はどれだけ助けられたことでしょう。
 「あなたたち」とともに、最後までそうした仕事をやり遂げなくてはならないことはわかっています。自分だけが忙しいわけではないことは百も承知です。でもぼくは、「わたし」として、「あなたたち」の愚痴を聞くことしかできないのです。
 「わたし」でもあるぼくは、こうした「あなたたち」にささえられて生きているんです。なんだか、今、とてもたいへんな時期にさしかかっている「あなたたち」を見ているうちに心から「ありがとう」って言いたくなりました。「わたし」にも、ぼくにも、いつも最後まで付き合ってくれて・・・。
 

懐かしい路

2008年10月20日 | 
 万博記念公園の中の路。夜遅くに重い荷物を持って、ぼんやりと街頭で照らされただけのうす暗いこの路を走って、何度モノレールの駅に向かったことだろう。大学院のゼミや授業、研究で遅くまで研究室に残ってふと気づくと、いつも東京行きの夜行バスに間に合わなくなるような時間。この路を通るたびにダッシュの記憶が蘇る。
 あれからもう10年か・・・。もうこの路を走ることはなくなったが、路は違っても今もなお、いつもどこかを走り続けているような気がしてならない。あの時と同じように手がちぎれる感覚を覚えるような重い荷物を持ちながら。陸上部で風を切っていた記憶や感覚を忘れることができずに、そんな過去のかすかな想いにしがみついているからだろうか。過去を断ち切れば、ぼくは疾走してしまうのか、疾走することができるのか?
 午前9時、まだ開館していない静まりかえった万博記念公園のこもれびの中を歩きながら、走り続ける自分を少し遠目から見つめることができたような気がした。それでもぼくは決して疾走したりはしない。止まらないんだよ。止められないんだよ。

ラピートβ

2008年10月20日 | 
 国立民族学博物館でのフォーラム会場から急いで関空へ。吹田市から関空はちょいと距離がある。ぎりぎりまで会場にいたせいか時間がなく、あせりまくった。この飛行機に乗り遅れるともう明日の午前の授業に間に合わなくなるのである。一度、大阪から東京に出て、羽田から朝6時半発の沖縄便で戻ったことがあるが、これはまさに裏技である。時間がなく、天下茶屋からラピートβに500円の特急料金を払って乗った。結構ゴージャスである。飛行機で言えば完璧にビジネスクラスなみ。久しぶりの贅沢である。
 ところで民博からの帰り路のモノレール駅で親子のものすごく面白い会話に遭遇した。モノレールの外壁にたまたま広告が描かれている車両だった。それを見たお父さんが、まだ幼稚園か小学校1年くらいの女の子にこう話しかけている。
「コマーシャル代、払うとるで。お金、ぎょうさん払うてまっせ。」
 まだかわいい女の子にこんなこと言わなくてもいいんでないかい?ぼくだったら、「きれいな絵が描かれてるね」くらいにしておくが。なんだかこの発言をもって「さすが大阪」というのも偏った表現だとは思うのだが・・・。
 さて話は横道に逸れたが、ラピートのおかげで関空には出発30分前には到着し、お土産も買って無事に沖縄に戻れたのであった。

ガーシュインを聞きながら

2008年10月19日 | 
 運動会の最後で抜け出し、空港に急いだ。伊丹空港行きの最終で大阪へ。飛行機では熟睡。おかげで大阪に着いたときにはちょっと元気になった。梅田駅で降りて茶屋町をホテルのある中津に向かってぶらぶら歩いた。街を歩くとなぜか落ち着く。まだ開いているお店のいくつか覗きながら、気分転換。
 茶屋町のタワレコで、ガーシュインの小品集のCDを一枚買った。プレーヤーはグラッペリやエバンス、オスカー・ピーターソン、チャーリー・パーカー、サラ・ヴォーン、フィッツジェラルドなどで、ジャズ・プレーヤーをここまで集めたかというアルバムである。
 どこで聞いてもガーシュインはガーシュインだが、やっぱりニューヨークの音楽は、沖縄より大都市で聞く方が好きだ。このCDを聞きながら、明日の発表の準備中・・・。いったい何時に寝られるのだろう?

キャンプ場?

2008年10月18日 | 家・わたくしごと
 この写真はキャンプ場ではない。運動会のために見物にきた家族が立てたテントである。東京の運動会しか知らない私には、毎度、毎度この沖縄の運動会の光景には驚かされるのである。あるいは21世紀の運動会は日本中のどこもかしこも、こんなことになっているんだろうか?
 確かにこの時期でも沖縄は暑い。だから陽よけが必要なのも理解できる。しかし、しかしである。あまりにも大胆ではないか!さらにはキャンプ用の机、椅子持参の家族までいる。家族というのも、おじいちゃん、おばあちゃんは当然、親戚,イトコなど、多数がやってくるのもまた沖縄の特徴である。これでバーベキューセットなんてあったら、完璧に親族キャンプである。
 息子の小学校6年間、この光景を見続けてきた。つまりはこの光景を見るのは、今年が最後ということになる。毎年、驚き続けていたが、来年はもう見ることもないんだと思うとちょっと寂しいが・・・。やっぱり尋常ではないと私には思えるのである。
 「郷に入れば、郷に従え」という。民族音楽学者の私は、学生にいつもえらそうなことを言っているわりには、「郷に入っても、郷に従えない」タイプなのかもしれない。ただこればっかりは・・・。

準備OK?

2008年10月17日 | 大学
 週末は大阪でフォーラムがあって研究発表をしなくてはならない。このところ演奏や論文に追われて、どうしても発表の準備が進まなかった。準備ができるのは今日一日。明日は息子の運動会で、夕方には沖縄を出なくてはならない。幸い、今日は授業も会議もなく、朝からひたすら集中、集中!で発表準備にとりかかる。映像資料の関係の発表なので、資料を見る時間も相当に必要で、あっという間に時間が過ぎていく。
 夜はどうしてもガムランの練習に出なくてはならない。というか、こういう時こそ、さぼっちゃいけないんだ!と意地になって出席しようとしているのである。とにかく、現在、夜7時30分まで突っ走ったのだった。といっても頭だけ走っていて、体は全く運動していないにもかかわらず、甘味を相当に摂取した。すでに一日のカロリーはオーバーしているはずである。なぜか、こういう時は甘いものが食べたくなるのだ。
 練習はあと30分で始まるぞ。もういいっか!と配布資料をプリントアウト、パソコンを用意して持ち物を整える。そうだ、ブログでも書いて気分転換しーよう、と準備したものを机に並べてパチリ。はい、これが今日のブログでごさんす。

秋桜

2008年10月15日 | 東京
 秋の花といえば、「秋桜(コスモス)」である。月曜日に訪れた昭和記念公園はまさにこの花の時期で、一面の秋桜。一面というのが半端な広さではなく、見渡す限り、という表現がまさに適当なような秋桜だった。
 秋桜で私のようなおじさんが思い出すのは、やはり山口百恵の《秋桜》である。中学生の頃、ラジオからよく流れていた曲で、「薄紅の秋桜が秋の日に、何気ない陽だまりに揺れている」という出だしの歌詞だけは今も覚えている。確か、嫁ぐ娘とその年老いた母を歌うもので、子どもの時分には、なんと寂しい歌なんだろうと思った記憶がある。
 今、秋桜の前に立つと、そんな歌詞に違和感を感じることはなくなった。子どもだった頃は、「秋の寂しさ」なんてほんの一つも知らなかった。あれから「秋」をたくさん経験して、「あたりまえ」の大人になっていった。
 昭和記念公園の秋桜畑のすぐ横で、子どもたちが空気で膨らませたビニールのボールを夢中で追いかけている。子どもたちにとって秋桜はまだ「美しいだけの花」、あの子たちのような気持ちで秋桜を見続けたかったと少し恨めしく思う。
 

秋晴れのもとで発表会

2008年10月14日 | 東京
 昨日、昭和記念公園で音工場OMORIの講座生によるバリ・ガムランの発表会が開かれた。音工場が羽田から大森に引っ越して最初の発表会。記念すべき第1回の発表会と言っていいのだろう。秋晴れの中、たくさんの観客の中での演奏。やっぱり、ガムランは野外での演奏が一番。
 毎年、この発表会に参加させてもらってうれしいのは、10数年以上も前、私が全くの初心者から教えた講座生の何人かが、今は上級者になってガムランを続けてくれていること。細く長くでいいと思う。これからもずっと、ずっと続けてほしい。そして毎年、発表会で会えれば、それでうれしいのだから。