正直、今日の現代曲の練習はほんとうに疲労した。休憩を入れずに練習したことが原因の一つ。なんだか熱心に練習をするメンバーをみたら、「休憩しよう」と言う勇気がなかった。意気地なしの自分の責任。もう一つは、自分の演奏する太鼓の強迫の位置や「手」を変えたこと。それによって完全に違う音楽に聞こえてしまった。リズムは同じでも太鼓は手を変えれば、それはもう私の中で全く違うものになってしまう。そんなことは、わかっているのに、背伸びをしようとした自分の責任。そして、いろいろな方の指導やアドバイスを聞いているうちに、誰が、誰に、誰と合わせていくのか、わからなくなってしまったこと。アンサンブルの才能のない自分の責任。なんだかセロ弾きのゴーシュの気持ちがわかる気がする。
「原稿の書けない奴は、演奏もどうせうまくはできないさ」
また、あの意地の悪い天の声だ。すべてはおまえのせいだ!おまえのせいで、俺は本当に混乱しているんだ!
「原稿の書けない奴は、演奏もどうせうまくはできないさ」
また、あの意地の悪い天の声だ。すべてはおまえのせいだ!おまえのせいで、俺は本当に混乱しているんだ!