実家の最寄りの駅、鷹の台は、武蔵野美術大学や津田塾大学など(まだまだあるんです)が集まる学園都市の駅、「都市」というより、「学園街」ですね。駅の商店街も、どうみたって「しょぼい」し、夏休みなんて学生がいなければ閑散としている、それでも私が大好きな静かな街です。
この駅、数分歩くと玉川上水にぶつかります。江戸時代に作られた上水ですが、今もその風情が残されているし、側道は緑に囲まれた散歩道になっていて、歩こう思えば、何キロも続いているはずです。この時期の散歩道は蝉の大合唱。9月に入ったばかりなので、まだまだ「オーシンツクツク」「ミーンミーン」「ジージー」といろいろな蝉が「われ関せず」というように、他の蝉の鳴き声を気にすることもなく鳴いていました。
昔、蝉は何年も土の中にいて、ほんの一週間、明るい太陽の下で生きて、そして子孫を残して死んでいくかわいそうな昆虫なのだ、と習いました。でもあるとき思いました。「なぜ、土の中にいる蝉がかわいそうで、太陽の下にいる蝉が幸福だと考えたんだろう」と。それって人間の価値観の押し付けじゃないか?そう思ったら、それほど蝉に同情しなくなりました。蝉は暗い土の中で暮らしているときが、一番幸せかもしれませんもの。太陽の下では、つらくて、苦しんで、鳴いているかもしれないのです。
ぼくはそんな蝉から「文化の押し付け」ということを学びました。だから蝉は私の先生です。大好きな先生です。あと二週間後に再び、この道を通るはずですが、蝉の先生方はまだ太陽の下に生息してくれているんでしょうか…。私の大好きな夏が今年も終わろうとしています。