ななとぽちと猫たち

夫婦と猫達との日々

飢え

2007年11月27日 | Weblog
幼なじみが、『ホームレス中学生』を職場の人に借りて読んだらしくて
面白いんだって言う

笑えんの?
いや、笑えるんだけど、泣ける
って言うもんだから、
私も読みたくなって買ってしまったのです

田村少年と兄と姉がアパートで3人暮らしてた時期
家で食べてよいのは1日一膳のご飯のみ。

足りる訳ないのだが、それだけでいかにお腹を満たすかを皆で考える。

その結果が、とにかく噛むという事。
最初はうまくいかないけれど、慣れるとずっと噛んでられるようになるらしい
お米は噛み続けると甘味が増し、やがて味がなくなる
匂いすらしなくなった時をゴールと決めてそこでようやく飲み込む。

ゴールを目指して時間をかけ噛み続けるのだ

しかし、お姉ちゃんゴールに到達しても諦めなかった
無味の状態になってからも噛む事を止めなかったのだ。

お米と自分の可能性を信じて。

ドロドロの無味の状態になって噛みつづける事により
一瞬フワっとお米の味がする瞬間を発見するのだ

それを田村家では『味の向こう側』と呼び
それからは、ゴールのさらに先、
味の向こう側を目指し、何度もそこに行く事となるのだ。


苦しみの中から生み出された奇跡のような発見。


それにしても
カステラが食べたいなぁ。
家にないから余計に食べたい。

飢えを感じる。

明後日は大腸内視鏡検査なのだ
それで昨日から食事制限をしている。

2日続けて夕食はおでんにしてるが、
練り物より私は本当はたまごが一番食べたかった。
たまごは食べてダメみたいで、我慢なのですが。

そんなだから、お腹いっぱいになっても、なんか満たされないのだ。
田村少年達が家でご飯一杯しか食べれなかった状況を考えたら贅沢なんだけど

明日は病院で渡された検査食だけだ。

食べたいものが食べれないってだけでも悲しいのに
お腹一杯食べれないのって、どんだけ辛い事か

私にもわかる
入院時の絶食状態の時は、ベッドの上で1日中食べ物の事だけを考えてしまってた
こんなに食べ物の事考えた事ないって程に
普段あんまり食べない私でもそうなる。
そうなるのだよ。

若い頃の事も思い出した。
家を出てしまい、仕事を見つけるまでは持ってるお金で食べ繋いでたが
もう本当にお金がないって時があった

住むとこはあっただけ良いが。
その時は、ポットに紅茶をいっぱい作り砂糖で甘くしてそれでお腹を満たした。
お腹がちゃぽちゃぽした。

あの時期、お茶碗に山盛りのご飯を、今まさに食べようとしているって夢を何度か見た。
なぜか、いつも食べる寸前に目が覚めた。

飢えは本当につらいのだ。そうなって初めてわかる
食べれる事がどんなに幸せなのか
全然当たり前じゃないのだ。
その事に感謝しなくては

それだけじゃなく、飢えている人がいたら力にもならなくちゃ。
誰も飢えない世の中になるように。

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