続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

酒盛地蔵と六道の辻(山上は新田とつながっていた)

2023-07-29 17:26:24 | あずま道

今朝はいつもより早めに、お散歩に出ました。

でも、もう猛烈日射しです

常広寺の6時を告げる鐘が聞こえます

 

今朝は頑張って、常広寺の東の天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。

左の竹藪の向こうは天神沼、正面の森には天神宮があったそうです。

ナス畑が、モロコシで囲まれてます

モロコシは虫がよく付いてくれて農薬が減らせると、かつてはあちこちで見かけました。

 

やっぱ、このくらい歩かないとね

アタチもガンバリました

 

 

 

 

新里の東の県道73号線を南に下ると、左に気になる表示があります。

ここは古あずま道で、一般的なあずま道は、一本南ということです。

東山道は一本ではなく、脇道もあり、本道が変わったりもあったのでしょう。

奥州に落ちていく義経が通ったという伝説があるんですね。

 

南には国道17号線(上武道路)が見えます。

あの国道の北が、あずま道ということになりそうです。

 

 

古あずま道を走ってみましょう。

 

 

細い田舎道をしばらく行くと、酒盛地蔵です。

あずまの人は、落ち行く義経に優しかったんですね

合掌

 

 

さらに細道を道なりに行くと、六道の辻です。

江戸時代には、この地は二之宮から大原へ通じるあずま道と平塚から山上へ通じる道が交差し、さらに伊勢崎と新田へ通じる観音通りがあった事から六道と呼ばれ、交通の要衝として大いに賑わいました。

北が山かみ道(やまがみみち)です。

南の平つか(ひらづか)と繋がってます

ここを通って、平塚方面に行けば、世良田に出ます。

上野国山上の行仙上人も、だいたいこのルートで、新田の世良田長楽寺に行っていたかも

彼の生きた鎌倉時代にはまだ街道として整備されていなかった可能性もありますけど、人々の往来の道はそれなりにあったはずです。

 

山上(やまがみ)は、新田とつながっていたんだ

目の前の県道293号線を渡ると、先日寄った上田の大日堂です。

そして道なりにいくと、淵名の大国神社に出ます。

早川を渡ると、新田です。

先日は意図してなかったけど、平塚から山上への道を帰ったのでした

でも、観音通りって何処だろう

 

 

(つづく)

 

 

 

 

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