続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

魔住田ヶ淵と女淵城

2022-08-30 15:56:26 | 桂川物語

今朝はお天気も悪く、いい写真がありません

 

ちょうど1年前、2021年の8月31日、元気な獅子くんの姿があります

本日はアーカイブでご容赦下しませ

7年間養子に行っていて、実家に帰ってきて2年ちょっとでした

元気いっぱい明るく、ひめちゃんとのお散歩を楽しんでいました

ひめちゃんも楽しんでいました

 

実り始めた田んぼには、シラサギです。

今年は、最近ほとんど見かけません。

どうしたかな?

 

 

 

 

8月25日の朝、タバサねーちゃんは脱走して、おかあさんの車の回りをウロウロ。

お出かけの催促です。

タバサねーちゃん、久々のお出かけです

さて、何処へ行こうか?

そうだ、桂川の源流が気になってます、

行ってみよう

 

 

地図だとここが桂川の始点です。

でも振り返って北を見ると、まだ先がありそうです。

この先もそのうちに辿ってみたいです。

上流はさほどの水量ではないのに、線路の下をくぐってしっかりと流れ出しています

 

 

この場所のすぐ先には、踏切と魔住田ヶ淵(まずみだがふち)があります。

数年前に訪問したときは、もっと鬱蒼とした雰囲気だったと思います。

今では、「魔」が住んでる雰囲気はゼロです

 

史跡魔住田ヶ淵の碑文を確認です。

此の地は高野辺家成の姫の伝承地であるが、昭和五十三年度群馬県営粕川土地改良事業によって平夷された

南北二五四米東西一八米深さ六米であった。

 

南北に細長い淵だったのです。

桂川の源流とは重ならないかな

 

高野辺家成の姫の伝承とは、この淵に姫が継母に沈められたという事いうのでしょう。

『粕川村誌』(昭和47年)に、

一説には、往昔高野辺家成という者が当地に居住した。女子有り、継母これを憎み、郎等と謀って、魔住多の淵に静めたので後の人がその淵を女の淵と呼んだことから地名になったという。

 

 

踏切の向こうは、女淵城(おなぶちじょう)です。

せっかちおじさんは、タバちゃんともう城趾の方に行ってしまいました

 

あわてて後を追います。

初めて北側から女淵城を攻めます

 

今は埋められてしまった魔住田ヶ淵から、勢いよく水が流れ落ちてます

 

やがて静かな鏡のような水面となり、付近の風景を逆さに映します

 

次に滝の様に流れ落ちると、濁り始めます。

 

振り返って魔住田ヶ淵です。

 

タバちゃん、興味津々です

何か居るのかな?

鯉がいます

 

ちょっと暑いですけど、楽しいですわ

 

 

お堀(沼)の南に出ます。

ここがいつもは到着して探訪の出発地です。

 

女渕城についての、説明板と付近の地図があります。

あれ、右の方に桂川も描かれています

桂川の方に行ってみましょう

 

(つづく)

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