突然近くにいる無関係な人を殺し、傷つける無差別殺人が今年に入って7件も発生していると言う。今回は33歳の男が、悩みを親に聞いてもらえなかったから、無差別殺人を計画したのだと言う。以前入学式どころか、入社式に親が付いて来たと話題になったがそれもバブルまでの話。いまや企業は社員をどうしたら効率よく使うかと言う事にのみ関心を示し、出来上がった部品としての労働力を欲しているようだ。若い出来上がった若者を安く使う。そこには培っていた伝統を次世代に移してゆくという考えは無い。経団連の御手洗などは、人件費が高いのなら本社を外国に移すまでだ! とまで言っている。企業は株主のものであり、金儲けのための手段にしか過ぎないと言うのが、現在の主流の考え方で有るのだろう。強いものはどこまでも伸びよ。敗者は弱いのだから負けて当然。しかし、100人の中のたった一人に無限の希望が与えられる世界より、70人も80人もの一般の人が明日の希望が持てる社会の方が幸せな国なのではないか。乏しさを憂うるよりも、等しからざるを憂う事が、必要な時代であるのかなと思う。一瞬の映像で人を批判してはいけないが、今我々はけじめを見失っているのではないか。あの殺人犯の父親が謝罪会見をしている場面を見たが、顔を写さないのでメタボナ腹を写さざるを得ないのは理解するが、服装は普段着のままである。謝罪をするのであれば羽織袴とまでは言わないがせめてそれ相応の礼を尽くすのが本当で、謝罪するのであれば、自分の顔を曝し、目をカメラに向けて謝罪すのが礼儀ではなかろうか。あの会見で関係者の方は納得できたと、TVニュースを流したディレクターは判断したのだろうか。
クールビズとやらが振りまいている、けじめの無さの一例であろう
クールビズとやらが振りまいている、けじめの無さの一例であろう