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上村淳之展

2008-03-16 23:46:32 | 展覧会から
先週三越美術館で上村淳之展を見た。自分は上村淳之について殆んど知識を持っていない。上村松園や松篁の名前は一度ならず聞いたことはあっても、淳之の名前は記憶に無かった。あまり自慢になる話ではないが、物を知らないことを改めて確認するには良い機会であった。年表に拠れば昭和8年生まれ、本年75歳との事である。昭和二十年十二歳の時 奈良の唳禽荘に疎開。昭和二十八年は二十歳の時、京都市立美術大学日本画科に入学。この年、祖母松園没後空き家になっていた奈良県平城の唳禽荘に移りすむ。この地で様々な鳥の飼育を始める。と記載されている
今回の上村淳之展は、昨年10月から12月にかけてパリの三越エトワールで開催されたものの帰国展である。この展覧会にあたって淳之はメッセージを寄せている。そこには敗戦から復興に向かう過程で若き敦之が直面したさまが述べられている。「幼い頃から父がモデルにと飼っていた小鳥や鶏と遊ぶのが好きであった。そう大きくはないが追込舎の中に水路を造り水草を植えて自然に近い状況を造って楽しんでいた。
美大を卒業する頃は戦後の復興半ば、”花鳥風月を楽しむ時代か”などといわれ、花鳥画を描く作家は少なく、・・・中略・・・自然に囲まれた一人暮らしのアトリエでは好きな鳥を飼いはじめ松園没後住む人無きあと荒れていた畑を耕し花を植えたり、野菜を作っていた。
元々好きな花鳥画を描きながら、どうしても表現の上で行きづまるところがあった。それは余白の表現である。・・中略・・・ そして形骸化、形式化、様式化した日本画の空間は正に其の空虚な空間に陥ってしまい全くリアリティ無きものとなっていたから、尚更その感を深めたのであろう。・・中略・・ 深春の早朝、朝霧のかかる畠地に苗代をつくるため水の張られた一枚の田が美しく光り3羽の水鳥が佇んでいた。その部分だけが光り、他は霞んで見えない。何と美しい空間だと感動し、アトリエに引き返すと一気に書き上げた。佇む鳥は鳧、私の禽舎にも居て、写生は重ねていた。100号の作品は多分2日とはかからなかったと思う。目にした光景を一気に描きあげたように思うが、仕上がってから、余白の表現があるいはこれでよいのではと思った。・・後略・・
自分には画家がこれだけ拘っている余白について、それほどの感慨はない。ただ 雪舟や北斎、光琳や写楽に比較して。目の表現に力強さを感じます。特に今回気に入ったのは早苗田 と題された93年の作品で、母鳥の雛を見る視線と、それを見守るオスの視線の微妙なそしてそれぞれに愛情のこもった視線は、何度見ても見飽きないものでありました
コメント
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