名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
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思い出すこと

2023年11月06日 20時49分48秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
娘のお許しが出た寺だよりの原稿

私が「ちえ」に再会したのは、高校生の時だった。1960年代の終わり、彼女はスーパーマーケットのレジで袋詰めの補助をしていた。まだ少し麻痺の残る手で、かいがいしく働いていた。彼女とは、幼稚園で同じクラスだった。かけっこをすると、男子のビリは生来デブの私、女子は運動麻痺のある「ちえ」だった。幼稚園の頃に比べると、彼女の麻痺はかなり軽くなっていた。リハビリという言葉も障害者雇用も一般的でなかった時代、彼女が働くということは、今よりはるかに大変だったに違いない。

もちろん、私もそれなりに一生懸命生きていた。小学校6年生で50mを11.7秒で走っていた私は、中学に入学して柔道部に入り、高校に進学してからは、柔道部の部長になった。しかし、ひねくれたデブの期間が長かった私は、その後、あらぬ方向へ進む。
70年安保闘争の余波は地方の県庁所在地にまで及び、世間はささくれだった雰囲気に包まれていた。岡山大学の学生が、高校の正門でビラを配り、校内に入り込んでアジ演説をしていた。彼ら左翼を投げ飛ばして職員会議にかけられ、チンピラと喧嘩をして、岡山県警の柔道部の先輩に処分保留で助けられたり。

あの頃の私は、青春の隘路に迷い込んで、暗い目をしてさまよっている凶暴な若者だった。そもそも、スーパーマーケットで支払った金も、良からぬ方法で手に入れたものだった。しかし、あの時、スーパーマーケットを出た私は、ほんの少しだけ明るい目をしていたような気がする。