名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
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2015年10月の寺だよりに掲載しました 創造神話

2016年10月27日 12時20分11秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 中学時代、「天地創造」という映画を覩た。旧約聖書の創世記第一章から二十二章までを映画化したものだった。イスラム教は旧約聖書を認めるので、もちろん、神がこの世界を造ったと考える。旧約聖書以外にも、北欧には、古エッダと呼ばれる詩集があり、その中の「巫女の予言」で、この世界の成り立ちを語っている。日本には、古事記や日本書紀に「国産み」の神話がある。
 翻って、仏教には、こういう創造神話の持ち合わせがない。この宇宙も一つの生命体であり、すべての生命体は、成住壊空(じょうじゅうえくう)を繰り返しているだけだと説く。成(生まれ)住(しばらくとどまり)壊(やがて壊れて)空(形を失う)という状態を繰り返すだけで、始まりもなければ終わりもないと言うのである。
 ただ、さすがに、これだけでは納得できない者も出てくるので、それらしい話は用意されている。まず、有情の業(うじょうのごう=生命の働き)によって虚空に一陣の風が吹き、その風が重なって風の輪(円盤)ができた。風の輪の上に水の輪が生まれ、その輪の上が固まって金(金属)の輪が生まれた。そして、金輪の上に、山、海、様々な島が生まれた。山は須弥山とその連山、海は七つが淡水で一つが海水。我々は、須弥山の南にある三角の島に住んでいると語るのである。須弥山はシュメール山、三角の島はインド亜大陸がモデルなのだろう。
 しかし、この話も、よくよく読めば、宇宙の営みによって虚空に風が吹いて、その風が元になってこの世界が生まれたと言っているだけである。これでは、とても創造神話と呼ぶことは出来ないだろう。

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