芦屋仏教会館で今月から日曜仏教公開講座が再開されています。
7月12日(日)、久しぶりに参加させて頂きました。
芦屋仏教会館HPによると、新型コロナ対策は芦屋市のガイドラインにそって行われているようです。
私が見たところだけですが…非接触型検温、アルコール消毒、換気(古い建物で少し難しいですが)、館内マスク着用、司会受付の人はフェイスマスク着用、ご講師席は防護壁(笑)、会員外の人は記名、座席設定は通常の3〜5分の1程度、全体での仏教賛歌合唱や読経は控えた様式でした。
参加者数は、通常の半分近いでしょうか。
このご時世ですから、高齢者の参加者数は激減していました。
増税されても入館者数が減っても、依然入館料は一人500円の据え置きです。
今回は座席設定のおかげで、私たち夫婦は2階席に上がることとなりました。
個人的には、初めての2階席にワクワク!
大変美しく、日本の伝統的な寄席というより、キリスト教の教会に近い建築様式です。
遠目から見ると…ご講師席がガラス張りの檻っぽく、ご講師(行信教校校長・天岸浄圓先生)が囚われの展示用珍獣みたいになっておられたことに、現在の非日常を意識しました。
こういう場は「講座」と名前がついていますが、単純な勉強会というわけではありません。
所謂「オンライン講義」でその内容自体は代替可能ですし、内容に即したレジュメも作成できるでしょう。
しかし、宗教としての仏教は「人間の理解」「言語化され限定化された有限」に固執するものではありません。
今時の人間的理解を目指した「これ1冊でわかる」「サルでもわかる(サルに宗教は要らないか;)」仏教というような、本来、仏教の入り口となるはずの「わかりやすく」「ビジュアル化」された媒体だけでは、究極的に仏教の目指す境涯に至らないというのです。
この世界の地続き(西経○度とか)で浄土がないのと同じで、こういう言葉の延長線上に仏教の目指すものが存在しないのが宗教的仏教の難しいところだと思います。
むしろ、宗教的仏教はそういうものから脱していくことを目指します。
仏教徒とは、教義に信従し、自己の感性のもつ能力を磨いて一定方向に心身を統制していく人たちのことです。
そんな仏教なので、浄土真宗の法話も、基本的にご講師の話を「まとめ」ません。
たとえると、ご法義は味わうもので、食レポするものではないということです。
ただし、それは他者にアピールする食レポが目的なのではなく、自身が頂いて味わうのが一番大事という意味であり、メモしたり自身の記録として「まとめ」ることを否定するものではありません。
そういう意味でも、やはりライブの空気感があって「クスクス笑いのツボ」「わからんわ〜w(先生すみませぬ!)「あ、アルアル!」みたいな一体感の空気を共有しつつ、耳を洗ってご法義(ほうぎ)を味わわせて頂くオフライン法座が、浄土真宗らしいと感じる次第です。
正直、オンラインで上手く演出し伝達するスキルと、人の心にスッと入ってくる空気や言葉を発するスキルは別物ですし…このようなご時世だからこそ、リアルでご仏縁頂きましたこと本当にうれしく思います(^^)
これ 妙味❤️
南無阿弥陀仏
余談ですが、入館料一人500円のところ、1000円入れさせて頂きICレコーダーで録音。
帰宅後、祖母にお聖教の該当箇所を見せながら、再生させて聞いてもらいました。
オフライン生活でも、十二分に有り難い時代だと思います~!(^^)
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