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中之橋天満神社と中之橋詰御旅所

2013-09-29 19:27:02 | 日記

参道に気になる神社を見付けました。

中之橋天満神社と中之橋詰御旅所の御由緒
この社殿のある御旅所の地は、菅原道真公が、天慶九年(946)九月二十日、はじめて神として顕現され、初瀬川で禊をされた後、腰をかけてお休みになられたところと伝えます。
道真公はやがて與喜山に鎮座され、與喜天満神社のご祭神となられました<わが国最古の天満宮>。
当神社はそのご分社で、ご祭神も道真公です。
與喜山(国の天然記念物)に鎮座する與喜天満神社は、当山の鎮守・地主の神様です。
長谷寺に参詣された方は、当神社へもお参り下さい。
毎年十月第三日曜日の與喜天満神社の大祭(通称・「初瀬祭り」)のおりに、本殿から巡行された神輿がしばしここにとどまり、祭典が行われる地です。


.初瀬川

2013-09-28 22:43:43 | 日記
最近忙しくて、久し振りの日記の投稿です。
8月7日の探訪の続きです。

十二柱神社を後にして、長谷寺へ移動しました。
長谷寺の下、初瀬川の袂に車を置き、歩きます。
初瀬、瀬の始まりという事?
初瀬川は大和川です。
というか大和川の始まりです。
初瀬、という名前は古代史ではとても重要で、歴代の大王家にも「初瀬」が付く名前は多く見られます。
長谷寺も初瀬寺なのでしょう。
そして初瀬川も長谷川ですね。

一説にはこの初瀬が古代史での伊勢神宮で、斎宮もここにあったのではないか、と言われてます。
倭姫命も、大来皇女もここにおられたのではないでしょうか?
でないと日本武尊も大津皇子もそう何度も伊勢には行けないでしょう。
それに伊勢神宮自体も未だなかった可能性もあります。


野見宿禰塚跡2

2013-09-08 23:43:24 | 日記

暫く探して、田んぼの中に塚跡の碑を見つける。
時間は9時2分。

桜井市の田園の畦道に碑「野見宿禰塚跡」が建っています。
夏場にはホタルが飛び交うということです。
野見宿禰は天穂日命の末裔で、国技相撲の開祖、埴輪起源説話の土師連の祖、菅原道真大江朝臣の先祖です。
明治16年まで直径20m以上の塚と五輪塔(十二柱神社へ移す)がここにあったがその後、取り壊され、塚の中にあった朱を初瀬川に捨てたら三日三晩川が赤く染まったそうです。
塚からは、親子勾玉(子持勾玉)や埴輪、土器等が出土したと云われています。
また昭和42年には縄文土器や弥生式土器、須恵器などが出土しているため、縄文の時代から人々が住んでいたと推察されるのです。
相撲は、垂仁天皇の時代、「當麻蹶速」と「出雲の野見宿禰」が初めて天覧相撲をしたのが始まりといわれています。

因みに後ろに見えてる山は三輪山です。

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2013-09-08 22:59:06 | 日記
相撲開祖野見宿禰顕彰碑があります。

野見宿禰は、土師氏の祖として『日本書紀』などに登場する人物である。

天穂日命の14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士で、垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)(『日本書紀』では「捔力」に作る)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えたという。
また、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣の姓を与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなったという。
『播磨国風土記』によると、播磨国の立野(現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬されたとある。

ところで、埴輪創出についての考古学的な知見からは、これは伝説にすぎないとされているが、こうした伝説も土師氏と葬送儀礼との関係から生まれたものであろうとの説がある。
それによると、まずその名前は、葬送儀礼の一環としての古墳の築営に際して、様々な条件を吟味した上での適当な地の選定ということが考えられ、「野」の中から墳丘を築くべき地を「見」定めることから「野見」という称が考案されたのではないかとし、次に相撲については、古墳という巨大な造形物を目の当たりにした人々が、これを神業と見て、その任にあたった土師氏の祖先はさぞかし大力であったろうとの観念に基づくものではないかと見る。
そして、土師氏が古墳造営を含めた葬送儀礼全般に関わったことから、これを死の国と観想された出雲国に結びつけ、その祖先をあるいは出雲出身としたり、あるいは都と出雲の中間である播磨国に葬られたとしたのではないかと見、最後に火葬の普及などの変遷を経て古墳時代が終焉を迎える頃、その技術が不要とされた土師氏が、自らの祖先の功業を語る神話として大事に伝承したものであろうと説く。
もっとも以上の説の当否はともかくとして、少なくとも野見宿禰が祖先として土師氏に崇められたことは確かである。