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前来た時は正面の門から入れたのですが、今回は前回の出口から入って中でお金を払った。
門は閉鎖してる様だ。
前庭に雷電の碑がある。
雷電は明和4年(西暦1767年)信州(長野県)に生まれ、横綱谷風の内弟子から大関となり寛政・文化の土俵を飾った。
天明8年22歳のとき、出雲藩7代藩主松平治郷公はるさとこう(不昧公)に4人扶持をもって召し抱えられ寛政6年(1794年)不昧公より雷電為右衛門の名前を給わる。
21年間土俵をつとめ258試合の相撲を行ったが、負けたのはただの10回でその勝率は相撲史上、第1位である。
この碑の撰文は「雷電」小説の作者尾崎士郎であり、雷電の手形は当月照寺に保存されている。