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古いはずである。
この神社を造ったのは天穂日命とされている。
オオクニヌシノミコトを出雲大社祭祀するように命じられた、あのアメノホヒノミコトである。
アマテラスオオミカミの第二子とされるこの神は、この地に天降ると、出雲の守護神としてイザナミノミコトを祀った。
それがこの神魂神社の始まりであるという。
アメノホヒノミコトは出雲大社の最高の神官である「出雲国造」の祖先である。
この神官の家系は、出雲国造として25代までこの神魂神社の祭主を勤めていたが、西65kmの杵築の地に出雲大社が創建されると、祭主として大社に移住した。
しかし、その後も「神火相続式」「古伝新嘗祭」奉仕のためこの神社に参向するという。
アメノホヒノミコト創建に関わる神社であるから、由緒ある格式の高い神社であることは容易に想像できる。
ところが、何故か『出雲風土記』にも『延喜式神名帳』にも神魂神社の記載がない。
この謎を解く鍵は隣接する出雲国造家の屋敷跡だという説がある。
出雲国造家とのつながりが深く、神魂神社は私的な斎場だったと推測されている。
棟札の写しによって、現在の本殿は室町時代初期の天正11年(1583年)に再建されたと考えられている。
現存する最古の大社造りとして、昭和27年(1952)3月には国宝に指定された。
三間四方の建物は四丈の高さで、出雲大社本殿とは規模を異にする。
しかし、床下の高さが高く、柱は太く、棟持ち柱(前後の部分の中央の柱)が側柱よりも外側に飛び出しており、古い大社造りの特徴をよく残している。
一見したところ、白木造りのように見えるが、昔は彩色されていたと言われ、屋根裏あたりにかすかに痕跡が残っている。
この神社の祭神であるイザナミノミコトは女神なので、本殿の屋根の千木の先端が水平に切ってある。
一方、出雲大社の祭神のオオクニヌシノミコトは男神なので、千木の先端が垂直に切ってあり、男神を主祭神としていることを表している。
本殿内は、狩野山楽・土佐光起の筆と伝えられる壁画が九面に描かれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られているという。
残念ながら、普段は拝観できない。
なお、この神社の神紋には「有」という字が使われている。
神様が集まる神在月の十月の字の十と月を合わせたものとされている。