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お食事処 どじょう亭

2013-09-06 23:04:05 | 日記

安来節の殿堂、安来節演芸館に併設したレストラン。
どじょう料理をメインにしています。
場所は足立美術館のある広瀬で、美術館や鷺の湯温泉に隣接しています。

ドジョウから摂れるカルシウムはウナギの約9倍。
魚類の中では最も多くのカルシウムを摂ることができる魚です。
ドジョウ約70g(中サイズのドジョウ7匹程度)で一日のカルシウムを補充することが可能です。

ここのどじょうは養殖どじょうで、とても食べ易く、癖がありません。
それに料理に使われるどじょうはとても小さく、丸ごと食べても違和感はありません。

私はここの回し者ではありませんが、とてもお勧めです。


神魂神社3

2013-09-06 22:47:09 | 日記

古いはずである。
この神社を造ったのは天穂日命とされている。
オオクニヌシノミコトを出雲大社祭祀するように命じられた、あのアメノホヒノミコトである。
アマテラスオオミカミの第二子とされるこの神は、この地に天降ると、出雲の守護神としてイザナミノミコトを祀った。
それがこの神魂神社の始まりであるという。

アメノホヒノミコトは出雲大社の最高の神官である「出雲国造」の祖先である。
この神官の家系は、出雲国造として25代までこの神魂神社の祭主を勤めていたが、西65kmの杵築の地に出雲大社が創建されると、祭主として大社に移住した。
しかし、その後も「神火相続式」「古伝新嘗祭」奉仕のためこの神社に参向するという。

アメノホヒノミコト創建に関わる神社であるから、由緒ある格式の高い神社であることは容易に想像できる。
ところが、何故か『出雲風土記』にも『延喜式神名帳』にも神魂神社の記載がない。
この謎を解く鍵は隣接する出雲国造家の屋敷跡だという説がある。
出雲国造家とのつながりが深く、神魂神社は私的な斎場だったと推測されている。

棟札の写しによって、現在の本殿は室町時代初期の天正11年(1583年)に再建されたと考えられている。
現存する最古の大社造りとして、昭和27年(1952)3月には国宝に指定された。
三間四方の建物は四丈の高さで、出雲大社本殿とは規模を異にする。
しかし、床下の高さが高く、柱は太く、棟持ち柱(前後の部分の中央の柱)が側柱よりも外側に飛び出しており、古い大社造りの特徴をよく残している。
一見したところ、白木造りのように見えるが、昔は彩色されていたと言われ、屋根裏あたりにかすかに痕跡が残っている。

この神社の祭神であるイザナミノミコトは女神なので、本殿の屋根の千木の先端が水平に切ってある。
一方、出雲大社の祭神のオオクニヌシノミコトは男神なので、千木の先端が垂直に切ってあり、男神を主祭神としていることを表している。
本殿内は、狩野山楽・土佐光起の筆と伝えられる壁画が九面に描かれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られているという。
残念ながら、普段は拝観できない。

なお、この神社の神紋には「有」という字が使われている。
神様が集まる神在月の十月の字の十と月を合わせたものとされている。


神魂神社2

2013-09-06 22:38:04 | 日記

本殿は国宝です。
古さで言うと、出雲大社の本殿よりも古いのです。

松江市の「大庭」という地名は神様の祭りごとをする場所のことらしい。
その大庭町に神の魂の神社と書いて神魂神社と呼ぶ非常に古い社がある。
カモスと読むのは珍しいが、一説によると、神霊の鎮まり坐す所の「神坐所」がカンマスになり、さらにカモスとなったと言われている。
イザナミノミコトを主祭神として祭る神社で、通称”大庭の大宮さん”と呼ばれている。
意宇六社の一つに数えられる格式の高い神社である。

ちなみに、意宇六社とは、かっての意宇郡(現在の松江市、安来市、八束郡、能義郡)に鎮座する神社のうち、熊野大社、真名井神社、六所神社、八重垣神社、神魂神社、揖屋神社の6社を指し、この6社を巡礼する事を「六社参り」と呼んでいる。

神魂神社は「八雲立つ風土記の丘」から近い。
徒歩でも10分もあれば行ける。
神社脇の駐車場に車を入れて、参拝することにした。
神社の正面に「神魂神社」と彫った古い碑が建っている。
鳥居の先には、ゆっくりとした勾配の石畳の参道が続いている。

御手洗の所で参道は二手に分かれる。
そのまま真っ直ぐ進む参道は女坂で傾斜が少ない。
しかし、左手の男坂は急勾配の階段である。
男坂の石段を登り切ると、目の前に神社の社殿が聳えている。
一見して、歴史的にも価値がありそうな建物で、威圧感があたりに漂よっているのを感じる。


神魂神社

2013-09-06 22:28:24 | 日記

11時55分、神魂神社に寄る。
ここへは何度か訪れている。

神魂神社は、島根県松江市大庭町にある神社である。
旧社格は県社で、意宇六社の一社。
現在は伊弉冊大神を主祭神とし、伊弉諾大神を配祀するとしているが、これは中世末期ごろからのものである。
寛文年間ごろの新嘗会祝詞には、熊野大神・大己貴命などの神名が見える。
社伝によれば、天穂日命がこの地に天降って創建したものと伝えられるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社は記載されておらず、文献における初見は承元2年の鎌倉将軍下文であり、実際の創建は平安時代中期以降とみられている。
当社は出曇国府に近い古代出雲の中心地であり、社伝では、天穂日命の子孫が出雲国造として25代まで当社に奉仕したという。
出雲国造家は現在は出雲大社の宮司家であるが、現在でも国造家の代替わりのときの「神火相続式」「古伝新嘗祭」は、明治初年までは当社に参向して行われていた。