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十二柱神社
祭神:
神世七代の神
・国常立神
・国狭槌神
・豊斟渟神
・泥土煮・沙土煮の神
・大戸之道・大苫辺の神
・伊邪諾・伊邪冊の神
・面足・惶根の神
地神五代の神
・天照大神
・天忍穂耳尊
・瓊瓊杵尊
・彦火火出見尊
・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
十二柱神社は「出雲ムラ」の村社。
大昔は、社殿がなく、「ダンノダイラ」(三輪山の東方1700メートルの嶺の上にあった古代の出雲集落地)の磐座を拝んだ。
明治の初めごろまで、年に一度、全村民が「ダンノダイラ」へ登って、出雲の先祖を祀り偲んだ。
一日中、相撲したり遊んだり、食べたりした(出雲ムラ伝説)
西脇弥之吉氏(当時83才)より聞く。
1964年(昭和39年7月)
奈良県桜井市出雲
野見宿禰顕彰会
「出雲ムラ」の伝誦
「野見宿禰」さん
日本の国技相撲の発祥(はじまり)であるーー当麻蹶速と相撲して勝った「野見宿禰」さんは、この「出雲」に住んでいた。
野見宿禰塚は明治16年まで、出雲村大字太田小字塔の下にあった。
「野見宿禰」さんは、相撲の神様であり、埴輪の神様であることが日本書紀に記されている。
さらに、「野見宿禰」さんは、古墳時代に殉死の悪習をやめて、埴輪に改革した名アイデアマンで、知徳の神様でもあった。
五輪塔
高さ2.85メートルの巨大な五輪塔は、鎌倉時代のもので野見宿禰塚の上にあった。
四面に単独梵字仏(20体)と、地輪に1字1石経(23)が納められている全国でも珍しい古塔である。
狛犬と、それを支える力士像
土師部(上代、土器作り部民)の子孫が土器作りの高い技能と経験を石材彫刻に活用した埴輪の味がする芸術作品である。
更に、狛犬を支える力士像(8体)は、それぞれ異なった姿形力士像で写実的に力強く表現しており、相撲と埴輪の集大成した傑作である。
「出雲ムラ」の土人形
明治のはじめ頃まで「出雲ムラ」あげて土人形作りをしておった(窯元10軒、売店30軒、当時出雲ムラ戸数110)。
当時の出雲ムラの地場産業で、ムラは大いに賑わっていた(日本古代史の周辺ーー金谷克己著より)。
その古作品が近年、相次いで発現している。
出雲人形
明治後期から水野徳造氏が、もみがら焼き製法で埴輪説話と結びつけて水野家流の出雲人形を作った。
現在、水野佳珠さんが、後継者として活躍中。
その他
いままで、未知の「出雲ムラ」の古代の姿が、次から次へと新発現してきた
奈良県桜井市出雲
野見宿禰顕彰会