喉がカラカラだった。
アメリカ軍の火炎放射器攻撃から逃れてジャングルに分け入り、もう何日が過ぎたのか。Nはそれすらも分らなくなっていた。
敵の上陸以来、現地人の対応は手の平を返したように冷たかった。
それどころか、噂によれば日本兵を捕獲してはチョコレートやタバコと引き替えにアメリカ軍へ引き渡しているという。
連中にも気をつけなければ。
喉が渇いて、舌が半分、口から飛び出してきていた。
その時、前方の木々の枝の間から、一筋の光が差したのをNは感じた。
もつれる足で小走りに行ってみると、青く繁った大きな葉の陰になるようにして、小さな泉がそこにあった。
畳2枚分もあるだろうか、深さは膝の丈くらい。
砂底から、気泡とともに澄んだ水がこんこんと湧き出ていた。
誰かが見ていたら、Nは気が狂ったと思われたに違いない。
逆さになって頭を水面に突っ込み、小踊りし、軍服を脱ぎ捨てて泉に飛び込んだ。
やがて落ちつきを取り戻すと服を洗い、木の枝に干して草むらに裸で寝そべった。
どのくらい眠ったろう、軍服はすっかり乾いていた。
身支度を整え、もう一度水面をのぞいてみた。
すっかり若がえったNの顔があった。
彼はジャングルを出て、アメリカ軍に投降した。
ちょうど敗戦の日だった。
内地に引き上げてきたNは闇市で薬屋を始めた。
南方の島で死にかけた命と思えば、何でもできた。
アメリカのドラッグストアやスーパーマーケットを模して始めたスーパーは大当たりし、チェーン化して会社はどんどん大きくなって行った。
Nは時々あの泉を夢に見た。
初めて大型ショッピングモールをオープンさせた日、娘を旧華族に嫁がせた日、日本商工会議所の副会頭に推された日、いつも同じ夢を見た。
50年後、Nは関連子会社の工場移転にかかる視察と称してその島へ渡った。
いぶかしがる役員や秘書をふり払い、Nは一人ジャングルに分け入った。
今となってはあの泉を見つけられるなどとは思っていなかったが、不思議なことに、やみくもに歩き回っても道に迷ったというような感覚はなかった。
ああ、喉が渇いた。
そう思った瞬間、一筋の光が差してきた。
胸が高鳴った。
駆け出した先に、泉があった。
Nは服を脱ぎ、水に飛び込んだ。
両手で頭をなでつけた。
泉から上がると、Nは前と同じように裸で寝そべり、まどろんだ。
ああ、オレはまた見つけた。50年後に。
オレはもう50年、生きるかもしれない。
オレは何でもできる。
この高揚感よ。
Nは服を着た。
また50年後も来るからな。
Nは別れを惜しむように水辺へ戻り、水面をのぞき込んだ。
そして大声を上げた。
そこには黒こげの何かが映っていた。