ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

マクベス

2018年02月19日 | シェイクスピア

 私は生前の父が眠っているところを見たことがなかった。

私が朝起きた時にはもうすでに事務所でデスクワークに取り掛かっている。

深夜、勉強を終えて部屋から出て行くと、たいていの場合、書斎で古い映画を観ているか、事務所に明かりが灯っているかのどちらかだった。

一度直接尋ねたことがある、パパは眠くないのかと。

いや、眠いよ、と父は苦笑いしながら答えた。

「若いころに仕事でひどくくやしい思いをしてね、その時どこかが、あるいはなにかが壊れたのだろう、それ以来眠れなくなったのだよ。『マクベスは眠りを殺した!』かな。」

好きなシェイクスピアの台詞を引用しておどけてみせ、それ以上の詳しい内容は話してくれなかったけれど、そういえば時々言っていたことがあった。

「男の性根はよほどのことがないと直らない。たとえば、穴を掘り自分で土をかけて埋まってしまいたいと思うくらい恥ずかしい目に遭ったり、腹の中が燃えるくらいくやしい思いをしないと。」

そんな思いをしたのだろうか。

 ある日、夕食の準備が整ったので父を呼びに居間へ行ってみると、額に手を置いてソファに長々と横になっていた。

私はふざけて声を掛けた。

「マクベスさん、夕食ですよ。」

父はむっくり起き上がると唐突に口を開いた。

「『もはや眠るな、マクベスは眠りを殺した』と叫ぶ声を聞いた気がする

 無垢の眠り、
 気苦労のもつれた糸をほぐして編むのが眠り
 眠りは、日々の生活のなかの死、

 労働の痛みを癒す入浴、

 傷ついた心の軟膏(なんこう)、

 自然から賜ったご馳走、

 人生の饗宴の主たる栄養源だ。」

つかえずに台詞を言えて気をよくしたのだろう、最後にニッと笑った。

いつも働きづめで、こんなに疲れているのに、私のような小娘の冗談にもしっかりつき合うなんて。

切なくなって顔を引きつらせていると、父は心配そうに、面白くなかった?と私の目をのぞき込んだ。

 

オーソン・ウエルズ版「マクベス」(1948年)より

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