ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

奥ゆかしさ

2016年07月01日 | 珠玉

モーガン・アープ さよなら、お嬢さん。どうかお元気で。(馬車馬へ)進め!
(馬を下りるワイアット・アープ)
クレメンタイン・カーター お話したいことはたくさんありますのに、言葉にならなくて。
ワイアット そうですね、わかります。街に残って学校作りを手伝うそうですね。
クレメンタイン そう、私、教師になりますのよ。
ワイアット それはとても素敵ですね。我々は戻って故郷の父にこの出来事を伝えます。
       また牛を追ってこちらへ来たら、寄らせていただきます。
クレメンタイン 学校にも?
ワイアット ええ、きっとです。
       それでは、さようなら。
クレメンタイン さようなら。(握手する二人)
ワイアット (馬に乗り)それにしても、実にいい名前ですね、クレメンタインって。



 運んできた牛を盗まれたうえ末弟を殺されたワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)は無法の街トゥームストーンで再び保安官の職に就いた。
 ある日、街の顔役ドク・ホリディを追って東部からフィアンセのクレメンタイン・カーター嬢がやってくる。重い結核で自らの死期を悟っているドクは彼女をじゃけんに扱うものの、名前は愛称のクレムと呼ぶ。他方、ワイアットはというと、どこまでもカーターさん(ミス・カーター)だ。
 そして映画のラスト、最後の最後にやっとの思いでクレメンタインと口にするが、これは名前を呼んだというよりは、心の声を言葉にした、と言った方がしっくりくる。
この奥ゆかしさに、万感の思いに、観るたび胸打たれずにはいられない。

「荒野の決闘(いとしのクレメンタイン)」(1946年)



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