ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

鮎川誠

2023年01月30日 | ブルース

 

 シーナ&ザ・ロケッツのギタリスト、鮎川誠の訃報に接した。

1980年春、シングル「ユー・メイ・ドリーム」がJALのCMに使われ大ヒットしていたちょうどその頃に上京し、以来都落ちしてくるまでの9年間、シナロケのライブには皆勤賞がもらえるほど足しげく通った。

友達も、ガールフレンドも、自分が集めてきた知識と自分自身の価値も、みなそこで見つけた。

初めて観たのは渋谷の「屋根裏」(ピンサロの階上のライブハウス)だった。

観客の女の子たちがコートを脱ぐとTシャツやタンクトップという、すでに踊りまくる気満々のモードで、あ~、慣れてるなあ、と感心したし、気後れもしたのを憶えている。

もう何年もライブはご無沙汰してしまっていたものの、いまだカーステレオやiPhoneにはCDがつまっているし、携帯の着メロは彼らが好んで1曲目に演奏したニール・ヘフティの「バットマン・テーマ」だ。 

通夜も葬儀も行けませんが、遠くの空の下よりご冥福をお祈りいたします。合掌。

 

1980 年

 

ユー・メイ・ドリーム
(作詞:柴山俊之、クリス・モスデル 作曲:鮎川 誠、細野晴臣)

あなたの事想うと
すごく胸があつくなるの
いつもはユーウツな雨も
サンバのリズムにきこえる

あさもやの湖に
水晶の舟をうかべて
ちょっとだけふれる感じの
口づけをかわす

SO IF YOU LOVE ME
COME UP AND SEE ME AFTERDARK
YOUR NAME IS CARVED ON MY HEART
FOR YOU I RESERVED A DREAM

それが私のすてきなゆめ
それが私のすてきなゆめ
ユメ、ユメ、ユメ

AND YOU MAY DREAM TONIGHT
WHEN YOU TURN OUT THE LIGHT
OF A GIRL IN THE ARMS OF A HERO
LIKE VALENTINO
WELL-HEY! THAT'S LUCKY GIRL'S ME

それが私のすてきなゆめ
それが私のすてきなゆめ
ユメ、ユメ、ユメ

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アイ・ラヴ・ユー

2023年01月30日 | ブルース

 

 こんライブも行ったっちゃね。1981年10月、日比谷野音、「ピンナップ・ライヴ」!

マコちゃんがいっぱい歌うたけん、シーナが出てこんのかち、みな心配したっちゃ(笑)

録音ばしとったとは知らんかった(翌年2月「鮎川誠/クール・ソロ」としてリリース)。

ジャケットはリチャード・ヘルへのオマージュやったね、特に裏面は。

 

 

 

アイラブユー

(作詞;柴山俊之 作曲、編曲;鮎川 誠 )

 

きみがとっても上品で

頭のいい娘だなんて

そんなことなど オレにとっては

ほんのささいなことなんだ

 

きみのたよりを 読むたびに

たいくつすぎて 気が狂いそう

病気見舞いじゃあるまいし

それとも恋を 知らないの

 

それよりもっと 素敵な恋が

あついあつい くちづけが

オレも好きだし きみだって

きっと一番 似合うはず

 

わかってるなら 言わないで

オレがきみにのぞむのは

そんなつかれる セリフじゃなくて

心をこめて

I LOVE YOU

 

ビールスカプセル

(作詞;柴山俊之 作曲、編曲;鮎川 誠 )

 

オレの壊れた蛇口から

噴き出る不純な飲料水

悪質なビールスのかたまり

カプセルにいっぱいつめこんで

さぁ やつらにぶちこめ

よだれ だらだら たれ流し

さかりのついた メス猫の

脳天を 叩き割れ

 

オレの壊れた蛇口から

噴き出る不純な飲料水

強烈な 原子爆弾

カプセルにいっぱいつめこんで

さぁ やつらにぶちこめ

鼻から チョウチン ぶらさげた

できそこないの ガキどもの

脳天を 叩き割れ

 

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親孝行

2023年01月30日 | 日記

 つい先日、父親が所有する賃貸住宅で高齢者の孤独死があった。親類はいるものの引き取りを拒否しており、遺体はともあれ遺品は家主が費用負担して処分することになりそうだ。

 その少し前に父親が88歳の誕生日を迎え、簡素ながらも心づくしのお祝いの席を設けた。

東京でお気楽サラリーマンだった僕が都落ちしてきたのは、父親と母親が同日に入院したことがきっかけだった。

休暇を取り駆けつけると、連絡をくれた臨月の妹が病室に付き添っていた。その下の弟妹たちはまだ大学生だった。事業主が倒れ、後継者がいないということで、銀行からの新規融資が止まり、家業は倒産寸前だった。妹は実家が倒産するのは困る、と泣いた。

東映時代劇の悪役のような容貌の担当医は、長男のきみが帰ってきて面倒を見なければならないんじゃない?と言った。老け顔でその時はわからなかったものの、彼は僕よりたった5歳ほど年上なだけの30代前半だったそうで、よくまあそんな若さで他人の人生に口出ししてくれたよ、と思い出すたび少し腹が立ったが、やり手だったのか彼はそののち市立病院の院長に昇り詰めた。

あれから30年以上が立ち、意外にも両親ともに健在だ。来年には母親も88歳を迎える。親不孝だった僕の親孝行は、これをもってゴールしたと考えていいのかもしれない。

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