このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。
大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。
また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。
後半生を兄からの迫害により苦しい逃避行に費やした源義経には、日本各地にさまざまな伝説が存在する。
僕のすぐ間近にも、そんな一つがある。
子供のころ、彼岸や盆になると僕ら兄妹は両親に引きずられるようにして早朝、墓参りに出かけた。
墓までの寺の参道の途中に、「弁慶袈裟掛の石」なるものがあり、僕らは眠い目をこすりながら、そんなわけないよな、と失笑し合ったものだったが、後年、その寺に嫁いだ妹は宗旨替えしたらしく、アリじゃない?と真顔で答えるようになっている。
「義経記」にも記されているその伝説の概略はこうだ。
牛若丸(元服前)は京の陰陽師、鬼一法眼が秘蔵する兵法書を手に入れるため、法眼の娘皆鶴姫をだまし盗み出させた。
兵法書をわがものとした牛若丸は皆鶴姫をあっさり捨て、金売り吉次や弁慶とともに平泉に旅立つ。
法眼は娘に激怒し、小舟へ押し込んで海に流してしまった。
その舟が流れ流れて気仙沼に漂着する。
これを夢枕で知った義経は馬(太夫黒?)を走らせて駆け付けたが、残念ながら、皆鶴姫はすでにこと切れていた。
義経は姫が抱いていた小さな観音像をその寺に納め、併せて自分が背負っていた笈(おい:木製の背負箱)も寄進する。
この時に弁慶が境内の石に袈裟を掛けて休息したのだろう。
ここまで書いて来て、僕はため息をついた、んなわけないじゃん。
ちなみに、会津若松市にはさらに大掛かりな皆鶴姫伝説があるのだそうだ。