ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

おむすび屋

2020年08月28日 | 日記

 東北道を一戸ICで国道4号線に降りてまもなくのことだ、道路の左側にある廃屋の窓が開いており、その中にぼうっと人影が見えた。

驚いてもう一度眺めると、「おむすび屋」と看板が出ている。

胸をなでおろした僕は車を止め、建物の前の砂利敷きの広い駐車スペースまでバックした。

いらっしゃいませ、こんにちは。

快活な声で迎えてくれたのは、白いTシャツに麦わら帽子姿の若い女性だった。

梅干し、さけ、こんぶ、赤飯、おこわ、バターコーン、焼きみそなど、さまざまな種類の大きめのおむすびが、竹かごやざるに並べられている。

迷いますね、と言いながら僕は赤飯とおこわのおむすびを買った。

茶色の紙袋に手早く入れて差し出された。

よろしければ、あちらにイートインスペースがありますよ、とうながされ、建物の隣の、急仕立ての小屋でいただくことになった。

赤飯おむすびにかぶりついていると、お嬢さんが冷たい麦茶を運んできてくれた。

「時々通るのですが、ここは廃屋だと思っていました。」

「祖父が昔ここで串餅を売っていたんです。」

「ああそう、近くに馬仙峡があるので、観光客相手だったのでしょうか。」

「そうです。結構、売れていたそうですよ。

 私は仙台の大学の二年生なのですが、春休みに帰省した直後にコロナ禍で戻れなくなり、そのうちに大学もオンライン授業になってしまったので、空いた時間になにかすることはないかと考え、このおむすび屋を始めたんです。

 といっても、授業があるので毎週日曜日だけの営業ですが(笑)

 おむすびはおもにおばあちゃんが結んでいて、私は販売担当です。

 先日、地元の新聞に取り上げられたこともあって、一日100個売れることもあるんですよ。」

へええ、と感心しながら、僕は思った。

商売屋の娘は貴重品だ。

これは僕の持論だ。

彼女たちは、親の商売の浮き沈みを子供のころから見聞きして、それを受け入れる心構えを自然と身に着けている。

そして、お金の大切さを知っている。

同い年の義兄はそういうひとにとうとう出会わなかった、とたまにこぼす。

商売の不確実性を嫌い、自営業の家には絶対に行かない、と公言していた僕の二人の妹たちは結局、寺院と歯科医に嫁ぎ、どちらもいまだふーふー言いながら切り盛りを続けている。

「帰りは平日になるので、こちらは開いてませんね。」

「すみません、そうですね。でもまたぜひいらしてくださいね。」

MG大学も二学期は通常の対面授業が始まるだろう。

そうなるとこのお店も閉店して、再びやりがいを持ったおばあちゃんもそれを失くす。

いや、案外、孫がいなくなっても、彼女が残したこのビジネスモデルをそのまま続けるかもしれない。看板娘抜きで。

それにつけても、この小柄でやせっぽちのチャーミングなお嬢さんといつか結婚する男性は、三国一の幸せ者だな―そんなことを考えながら、僕は車に乗り込んだ。

 

岩手日報より無断転載

コメント
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