東北道を一戸ICで国道4号線に降りてまもなくのことだ、道路の左側にある廃屋の窓が開いており、その中にぼうっと人影が見えた。
驚いてもう一度眺めると、「おむすび屋」と看板が出ている。
胸をなでおろした僕は車を止め、建物の前の砂利敷きの広い駐車スペースまでバックした。
いらっしゃいませ、こんにちは。
快活な声で迎えてくれたのは、白いTシャツに麦わら帽子姿の若い女性だった。
梅干し、さけ、こんぶ、赤飯、おこわ、バターコーン、焼きみそなど、さまざまな種類の大きめのおむすびが、竹かごやざるに並べられている。
迷いますね、と言いながら僕は赤飯とおこわのおむすびを買った。
茶色の紙袋に手早く入れて差し出された。
よろしければ、あちらにイートインスペースがありますよ、とうながされ、建物の隣の、急仕立ての小屋でいただくことになった。
赤飯おむすびにかぶりついていると、お嬢さんが冷たい麦茶を運んできてくれた。
「時々通るのですが、ここは廃屋だと思っていました。」
「祖父が昔ここで串餅を売っていたんです。」
「ああそう、近くに馬仙峡があるので、観光客相手だったのでしょうか。」
「そうです。結構、売れていたそうですよ。
私は仙台の大学の二年生なのですが、春休みに帰省した直後にコロナ禍で戻れなくなり、そのうちに大学もオンライン授業になってしまったので、空いた時間になにかすることはないかと考え、このおむすび屋を始めたんです。
といっても、授業があるので毎週日曜日だけの営業ですが(笑)
おむすびはおもにおばあちゃんが結んでいて、私は販売担当です。
先日、地元の新聞に取り上げられたこともあって、一日100個売れることもあるんですよ。」
へええ、と感心しながら、僕は思った。
商売屋の娘は貴重品だ。
これは僕の持論だ。
彼女たちは、親の商売の浮き沈みを子供のころから見聞きして、それを受け入れる心構えを自然と身に着けている。
そして、お金の大切さを知っている。
同い年の義兄はそういうひとにとうとう出会わなかった、とたまにこぼす。
商売の不確実性を嫌い、自営業の家には絶対に行かない、と公言していた僕の二人の妹たちは結局、寺院と歯科医に嫁ぎ、どちらもいまだふーふー言いながら切り盛りを続けている。
「帰りは平日になるので、こちらは開いてませんね。」
「すみません、そうですね。でもまたぜひいらしてくださいね。」
MG大学も二学期は通常の対面授業が始まるだろう。
そうなるとこのお店も閉店して、再びやりがいを持ったおばあちゃんもそれを失くす。
いや、案外、孫がいなくなっても、彼女が残したこのビジネスモデルをそのまま続けるかもしれない。看板娘抜きで。
それにつけても、この小柄でやせっぽちのチャーミングなお嬢さんといつか結婚する男性は、三国一の幸せ者だな―そんなことを考えながら、僕は車に乗り込んだ。
岩手日報より無断転載