1951年、森英恵が新宿に小さな店を構えてからしばらくして、日活の美術監督らが彼女を訪問し、映画の衣裳デザインを依頼した。
以来森はデザイナーが手掛ける映画衣裳という、日本ではまだ新しかったジャンルを切り開いて行く。
「太陽の季節」、「狂った果実」(ともに1956年)は初期の代表作だ。
そしてその確かな実力で評判を取った彼女は日活ばかりでなく、(クレジットこそないものの)小津安二郎監督の「秋日和」(1960年)や「秋刀魚の味」(1962年)にも参画し、岡田茉莉子や岩下志麻へ小津好みのシンプルかつモダンな衣裳をまとわせている。
全て観ているわけではないが、僕が森のデザインで素敵だな、と思う作品は、川島雄三監督の「風船」(1956年)だ。
大佛次郎の新聞小説の映画化。
三橋達也、新珠美千代、芦川いづみ、と川島映画の常連に加えて、森雅之、北原三枝が加わってとても豪華なキャスティングだ。
左から新珠三千代(戦争未亡人でバーのホステス)、三橋達也(ホステスにお手当を払っている、社長のドラ息子)、北原三枝(自由奔放なシャンソン歌手)、
森雅之(元天才画家の会社社長、三橋の父親)、芦川いづみ(小児麻痺が原因で軽度の知能障害が残った、社長の愛娘)
北原と二本柳寛(右、ナイトクラブのマネジャー)
芦川にはギンガムやブロックチェックを着せてより可愛らしく(上・下)
「秋日和」
同じく「秋日和」より。原節子の和服は浦野理一のデザイン
「秋刀魚の味」
岩下は「秋日和」に佐分利信の秘書役で少しだけ登場しているのだが、2年後の本作では堂々のヒロインだ。
カラー写真でないのがとても残念。「トリスバー」のマダム役、岸田今日子のネックレスは赤いパールだった。
高校生の頃、日曜にテレビで放映されていた小津安二郎の「彼岸花」(1958年)を観た。
今となっては誰も信じないだろうが、70年代、小津はもう忘れられた過去の映画監督で、入手できる研究書はほぼ一冊、地方で作品が上映されることは皆無だった。
もちろん、家庭用のビデオはまだない。
母が後ろに立ち、画面を眺めながら不規則発言を始めた。
「山本富士子、いいわよね。でも私はこの映画より次の『浮草』(1959年)の方が好きだな。若山先輩が出ているから。」
「この映画ね、面白いんだよ。女優さんたちの帯が、全部無地なの。せっかく大映から山本を借りてきて、カラーで撮った(小津監督初のカラー作品)のに、もったいないよね。」
「たぶん、監督さんの好みなんだと思う。着物のデザインは全部このひと。」
母はテーブルの上にあった愛読誌の「美しいキモノ」を指さした。
その表紙には「特集 浦野理一」と書かれていた。
僕が本格的に小津映画に観始めたのは、その数年後、進学のため上京し、火災前の国立フイルムセンターで催された「小津安二郎特集」(1981年1月~)に日参してから。
入場券は当日先着順に販売だったので、熱狂的なファンが残っていた原節子主演の作品は毎回売り切れていて入れなかった。
それが2008年、筑摩書房から出版された中野翠の「小津ごのみ」を手に取って驚いた。
「彼岸花」での女優たちの帯がすべて無地だ、と母と同じことを述べていたので。
さらには、フイルムセンターで観た際に度肝を抜かれた、「お茶漬けの味」での小暮実千代のひょうたん柄の浴衣についても言及していた。
映画狂を自認するわれわれ男たちより、着物好きの女性たちの方が、小津映画に対する洞察が深いのではないか。
なんだか足をすくわれたような気がした。
―小津監督から、贈り物もあったと伺いました。どのようなものでしたか。
撮影に入る前には、どの作品でも衣裳調べというのがありまして、監督、俳優、衣裳さん達と、衣裳を選ぶのですが、『彼岸花』の時は、小津先生が事前に私の衣裳を全部選んで下さっていました。その中のファーストシーンで着た、浦野理一さんという着物作家の方の着物を、撮影が全て終了した後、記念にとプレゼントして下さいました。その時の嬉しかったこと、感激したことは、今も忘れることができません。今も、私の大切な宝物でございます。
(小津安二郎学会HPより、山本富士子のインタビュー)