南北戦争後、1879年。メキシコとの国境付近のリオ・グランデ砦を守る指揮官カービー・ヨーク中佐(ジョン・ウェイン)は、テキサス州内を荒らし回ってはリオ・グランデ川を渡河してアメリカ合衆国騎兵隊の権限の及ばないメキシコへと逃げ込むアパッチ族の蛮行に手を焼いていた。ある日、砦に到着した新兵たちの中に、15年間、妻ともども別居していた一人息子ジェフ(クロード・ジャーマン・ジュニア)の名前があった。ウエストポイント(陸軍士官学校)で数学で赤点を取り落第したことを恥じて退学、騎兵隊に志願したところが、偶然にも父親がいるリオ・グランデ砦へ配属されたのだった。
やがてジェフを連れ戻すべく、母親であり妻でもあるキャスリーン(モーリン・オハラ!)が砦に現れる。南北戦争の際、北軍に従軍して南部へと侵攻したヨークは軍の命令でやむなく妻キャスリーンの一族の邸宅や農園を焼き払い、彼女はそれが許せずに彼のもとを去ったのだったー。
長い間離れていた三人が再び出会い、相手のことを思いながらもみな特大のガンコ頭で、うまく伝わらない、伝えられない。そのもどかしく切ない家族の情を縦糸に、危険なインディアン掃討戦を横糸にして、物語はリオ・グランデ河のように、時に緩やかに時に激しく流れ、進んで行く。
あまりの低予算で展開が急すぎたり、当時(ジョン・)フォードの娘婿だったケン・カーチス率いるサンズ・オブ・パイオニアーズのコーラスのシーンはダサすぎて、ビデオを手に入れてからは毎回早送りにしているけれど、映画を観ている間は、この「リオ・グランデの砦」(1950年)がフォードの最高傑作かも、とうっかり思ってしまうほど大好きな作品だ。(余談だが、キャスリーン・ヨークという赤毛の大柄なテレビ女優がいる。きっとアイルランド系の父親が、この映画のファンだったのだろう。)
このあとフォードはウェインとオハラを使って傑作「静かなる男」(1952年)を撮ることになる。
燃え上がるような赤毛と、激情を湛えたまなざし。
この再会のシーンでのユーモアとロマンスの鮮やかな切り替わりが見事過ぎて。
"ホウカ犯”クインキャノン曹長(ビクター・マクラグレン)、最高!
次作「静かなる男」のアイルランドでの二人の出会いのシーン
まだVHSもベータもなかった頃、僕は映画「駅馬車」の全セリフを収録した二枚組LPというものを繰り返し聴き過ぎて、そっくりそのまま暗記してしまった。それだけなら別になんてことはないのだが、たまにテレビにかかっている「駅馬車」を観たりするとSE(効果音)を含む登場人物全員のセリフが勝手に口をついて出てくるのだ。イタコ、あるいは人間レコード。これは本当に困る。他人に見られたら即、病院行きだろう。
さらにもう一枚、珍しいものがある。ラジオ・ドラマ版「駅馬車」のレコードだ。ジャケットに記されたクレジットによれば、映画から十年後の1949年1月9日にオリジナル・キャストのデューク(ジョン)・ウエインとクレア・トレヴァーが"NBCシアター"という番組で演じたもので、二人に加え、前口上をジョン・フォード監督が担当、"フォード一座(フォード・ストック・カンパニー)″の大番頭であるワード・ボンドがブーン医師に扮している(レコード化されたのは76年)。
まず当時監督協会の会長だったジョージ・マーシャルが登場し、彼がフォードを紹介する。 上機嫌らしい"パピイ"(フォードの愛称)が歯切れ良く口上を述べると、物語はすぐに始まった。場面構成はほぼ映画通り。短時間の番組なのでストーリーがテンポ良く展開して 行く(細かく書きたいところだが、省略) 。
本編が終わると再びマーシャルに紹介されたパピイが主演の3人を伴って現れ、4人でしばし当時の思い出を語る。実に和気あいあいとした雰囲気である(アメリカの芸能人はこのへんがとてもうまい)。
「とにかくほこりがひどくて、髪を洗うのが大変だったわ」とトレヴァー。それではみなさん、おやすみなさい、と彼女がしめて番組は終わった。
トレヴァーは初め清純派としてデビューしたものの鳴かず飛ばずの状態が長く続き、「駅馬車」のダラス役で鉄火女・悪女型に転身した。それからはA級とB級映画の間を行ったり来たりしながら演技に磨きをかけ、48年(このラジオ・ドラマの直前)にはハンフリー・ボガートとローレン・バコール夫妻主演の「キー・ラーゴ」で演じたヤク中・アル中の元歌手役で、見事アカデミー助演女優賞を獲得している。
デューク・ウエインも十年の間に押しも押されぬ大スターとなっていた。49年といえば、ホークスの「赤い河」 、フォードの「黄色いリボン」、初めてアカデミー賞にノミネートされた「硫黄島の砂」と続々傑作を生み出し、気力充実していた頃である。ともに帰り新参として謙虚な気持ちで出演した「駅馬車」から十年後―全盛期・円熟期を迎えた2人の声は深く、エモーショナルで、目を閉じて聴くとキャラクターの動きと表情がはっきり見えるようだ。
もう少し続きがある。この番組はレコードのA面にすっぽりと収録されていて、B面には46年にランドルフ・スコット主演で作られた「駅馬車」(もちろんこれもラジオ番組)が収録されているのだ。ダラス役はやはりクレア・トレヴァー。このLPは、彼女にとってダラスが(自他ともに認める)一世一代の当たり役だったことをはっきりと裏付けている。
ジョン・ウエインは1907年アイオワ州ウインターセットに生まれた。
本名マリオン・マイケル・モリソン、父はアイルランド系の貧しい薬剤師だった。
1913年、破産したうえ体をこわした父の転地療養を兼ねて一家はカリフォルニアヘ移住する。
マリオン少年は“デユーク(公爵)”と名付けた大きな犬を連れて学校へ通った。
そのうちに少年の方が犬より背が伸び、デュークは少年のニックネームに変わった。
南カリフォルニア大学へ進学し、フットボールのスタープレイヤーとなったデュークは、夏休みの間、近くの撮影所で大道具係や雑用係のアルバイトを見つけた。
そこで知り合った新人監督のジョン・フォードと意気投合、エキストラとして映画に出演するようになる。
とはいえまだまだパイ卜気分でフットボールの方が第一だったのだが、ある日サーフィンの最中に波にさらわれて肩を痛め、選手生命を断たれてしまう。
夢を失ったデュークは仕方なく映画の仕事に本腰を入れることにした。
再びフォードのセッ卜で働き出したデユークヘ、次作の主演男優を探していたラオール・ウォルシュ監督が目をつけた。
当時としては破格の製作費をかけた超大作西部劇「ビッグ・トレイル 」(1929年)はデュークにとってスターヘの輝かしい第一歩となるはずだった。
ジョン・ウエインという芸名もついた。
ところが、間の悪いことにアメリ力全土を大恐慌が襲う。
70ミリの新方式で撮影された「ビッグ・トレイル」を映写するには大スクリーンと専用の特殊レンズを必要としたのだが、不況で経営の苦しい映画館はそれを導入する余裕がなく、「ビッグ・トレイル」は作品の出来とは関係のないところで興行的に大失敗しまった。
これによりデュークのキャリアは大きくつまづき、以後十年間の長きに渡ってB級映画出演を余儀なくされてしまう。
もちろん、30年代後半までにはヒット・シリーズを持ってそれなりの人気と地位を獲得、名誉回復の機は熟しつつあった。
そんななかジョン・フォードが彼に「駅馬車 」(39年)主演の話を持ち込む。
フォードの厳しい指導のもと、帰り新参のデュークは孤独なアウトロー青年、リンゴ・キッド役に無心で取り組んだ。
結果、「 駅馬車」は誰でも知っている通り、驚異的なヒットを記録したのだった。
(この項つづく)
リンゴ・キッド見参!
「リバティ・バランスを射った男」(1962年)がどうしてこんなにももの悲しいのか、初めて観た時から考え続けていた。
ピーター・ボグダノヴィッチ(映画評論家・監督)もそう感じていたらしく、大胆にもジョン・フォード監督本人に尋ねている。
あっさり否定されているが。
今はなぜだか分かる。
ジョン・フォード一座(ジョン・フォード・ストック・カンパニー)がみな老いてしまっているからだ。
番頭格のワード・ボンドにいたっては病死して不在。
主演のジョン・ウエインも、ジェームス・スチュアートも、役を演じるには老けすぎている。
ヒロインのヴェラ・マイルズにしたって、「捜索者」(1955年)の娘役の輝きはない。
さらに、恋心を寄せていたマイルズの気持ちが離れたのを感じ取って、未完成の新居に火をかけるウエインの凶暴な失意とジェラシーがひどく胸をこたえるのだ。
「映画の巨人ジョン・フォード」(2006年)ピーター・ボグダノヴィッチ監督
皮肉屋フォードがボグダノヴィッチのインタビューに対してまともに答えようとしない(18分30秒から)
手のつけられない小悪党のリバティ・バランス=リー・マーヴィンの衣裳はイディス・ヘッドがデザインしたものだ。
「風と共に去りぬ」(1939年)でスカーレット・オハラの父ジェラルドを演じたアクの強い中年男優トーマス・ミッチェルが、この年フランク・キャプラ監督の代表作「スミス都へ行く」、ジョン・フォード監督の「駅馬車」(アカデミー助演男優賞を獲得)、ハワード・ホークス監督の「コンドル」、それに「ノートルダムの傴僂男」へ出演して大忙しだったことは以前書いた。
「風」については、もう一つ書いておきたい。
それは、ミッチェル以外にも、「ジョン・フォード一座(ジョン・フォード・ストック・カンパニー)」と呼ばれるフォード作品の常連俳優たちが多数出演していることだ。
まず、北軍将校役で一座の番頭格のワード・ボンド。
それから、翌年の名作「怒りの葡萄」でヘンリー・フォンダの母親役を演じてアカデミー助演女優賞に輝いたジェーン・ダーウェルが、ピティ・パット伯母さんの友人役。
さらに、アトランタ炎上シーンでクラーク・ゲーブルの代役として馬車を操った元ロデオ・チャンピオンのヤキマ・カナットは、「駅馬車」のスタントを担当していることでその名前が広く知られているのだが、面白いことに彼は馬車に乗ったスカーレットを襲う薄汚れた北部人役で、作品中に再登場している。
彼らはオーディションがあったのだろうか。
いずれにせよ、ゲーブルとともにぬっと玄関ドアから顔を出しているひげ面のワード・ボンドの写真を見るたび、ぷっと笑ってしまう。
右は撃たれたアシュレ・ウィルクス(レスリー・ハワード)。「ピグマリオン」のヘンリー・ヒギンズ教授役の方が似合ってる、と後年思った。
ワード・ボンド。
ジェーン・ダーウェル
ヤキマ・カナット
トーマス・ミッチェル
「駅馬車」の翌年にフォードがユージン・オニールの海洋劇を映画化した「果てなき航路」より。左からトーマス・ミッチェル、ジョン・クオーレン、ジョン・ウエイン、イアン・ハンター、ワード・ボンド、ジャック・ペニック、バリー・フィッツジェラルドと、フォード・ストック・カンパニー総出演だ。
キャプラの「素晴らしき哉!人生」(1946年)より。左から2人目、アコーディオンを持った主人公の幼なじみの警官がワード・ボンド。右から3人目、大切なお金を紛失するトンマな伯父さんが、トーマス・ミッチェルだ。