長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

柴田是真

2010年03月17日 00時12分01秒 | 美しきもの
 初めて柴田是眞という絵師の存在を知ったのは、13年ほど前のこと。山種美術館所蔵の『墨林筆哥』に出会ったとき、その筆致のあまりにも流麗かつ情愛にあふれていること、画題の洒脱さ・軽妙さに心が打ち震えた。
 それから是眞を追い求めてアンテナを張り巡らせていたのだが、浮世絵のように量産されたものとは違い、現存する作品が少なかったのだろうか、この十年余りの間、天井絵や調度品などを集めた企画展が、藝大美術館で一度、開催されたぐらいだった。
 収録作品の少なさに物足りなさを覚えたが、大部の画集も躊躇せず手に入れた。とにかく彼の残影は、それほど見当たらなかったのである。
 ところが昨年の11月、偶然にも日本橋の三越の前を通りかかったとき、お隣の三井記念美術館開催の柴田是真展覧会のポスターを発見! がび~~~んと心の臓にショックが走るとともに、私は雀躍した。雑事に追われ、やっと憬れの是眞の本格的な作品群にめぐり会えたのは、会期終了の前日だった。
 なんと、コレクションのほとんどは、テキサス在住のアメリカ人夫妻が所蔵するものだった。幕末から明治にかけて日本文化の粋を凝らした文物の数々は、そのほとんどが海外に流出しているが、是眞も例外ではなかったのだ。
 柴田是眞の技術、発想、おのが仕事に対する凝り性ぶり…目の前に広がる作品の一つ一つが、是眞が創造した宇宙だった。あまりの素晴らしさに私は無言で、ただ眼をしばたたかせるだけだった。
 近くにいた若い観覧者のアベックが、何度も「すごいね、すごいね」とずっと言い続けて、ちょっとうるさかったのだが、私はなんだか自分が是眞の身内になったような誇らしげな気分で、嬉しくもあった。
 そこでふと、このような素晴らしいものを生み出した百数十年前の日本人の作品を、海外から借り、そしてただ「すごいね、すごいね」と言って観ているしかない現代のわれわれ日本人って、いったいなんだろう…と思ったのだった。
 

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