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③神戸国際会館 こくさいホール

2018年09月11日 | ライブ・公演・舞台

マンジャーレ・カンターレ・アモーレで会場はさらにに大きく盛り上がり、Don't be afraid to LOVE。床に映る照明が白い雪のようで綺麗でした。1991年のアルバム「パノラマ」に収録、ジュリーの作詞、JAZZ MASTERの時代。この曲が発表された時は素直な気持ちでは聴けませんでした。

まわり道ばかりの  色んな日々を過ぎ
僕は決めたけれど 君は自信がないと言う♪

歌詞を見る限りでは、ジュリーは自分の気持を歌っているのかな?と思ってしまって、それまでの思い出したくない様々なことが私の脳裏をよぎるです。とても素敵な曲だけど、素直な気持では受け入れがたく思っていました。

その気持ちはDon't be afraid to LOVEを聴く度に長く続いていたのだけれど、それも今はもう遠い昔。全部忘れた!とは言いません、が、この曲が素敵だ、歌うジュリーが素晴らしい!その気持ちの方が今は勝つ!大好きと言い切れます。あぁ 時の流れは人の気持ちを確かに変えますわね(笑)

アンコールで登場したジュリーのキルト姿に、私の席の周りの女性たちは色めき立っておりました。古稀のジジー様に対して嬌声が上がりました、可愛い可愛い可愛い~と大好評でした。

MC(正確ではないです) こういうカッコウがしてみたかった、70歳のジジーです。若い時から甥や姪にジュリーだよ、なのにジジー抱っこ。やっと文句を言わせずジジーです。

構想12年、早めに考えるたちです、還暦を前にして、僕らの仕事は定年がない、ジジーと言っていいのではないか。歌手の世界では(ジジーは)皆無、私が先鞭をつけてやろう。

70歳になると自慢話になるのですが、41年に上京 42年には人気になって若くしてチヤホヤ、熱病のよう・・タイガースはたった4年、それからはどうしよう。沢田はソロになるんだろうと言われていたが、事務所からは何の話もなかった。サリーからPYGに誘われて渡りに船、急造グループでGSの熱が冷めやらない中、なんであんなオジサンとやるの。堯之さんゴメン、結果は出なかったけど貴重な時間だった。タイガースのような事はもう無いと思った。

欲しいと思って手に入らないのが人気、無謀な自信を携えて上京して、思ったとうりになったけど続くわけがない。それがどうでしょう 自慢話です。

人気は永遠ではない、大都市では人気があっても世間的には人気は沈む。40を越えて独立、50を過ぎて煙草を止め、酒は止めずにライブにいそしむ。

僕は都会的じゃん、地方では満員にならない。同時代を生きた人がいる、きっと聴いてくれる人がいると続けてきた。10年は時間がかかる。タイガースの後、10年アイドルを続けたら世の中はバカにしないだろう。

続けているうちに、TVに出るのは一部、裾野でライブの人が殆ど、誇りを持って続けたら還暦になって、もっと頑張りようはないのか。ギターの人と二人で全国を回る、ギターと真っ向勝負、やんちゃなギターの音が欲しい。20年一緒にやってきたKAZUさんを見てきた、彼ならできる。それは還暦の二年前。還暦はキャリアの集大成、ヒット曲を歌った、ドームで80曲。僕の場合、止める人はいない。

イズミヤが60曲オールナイト、やるな奴は。僕は80曲。80曲はほんと?喉から血がでるでと言われた。落下傘を出した時、歌謡曲を見せものにしたと言われた。〇ワムラ〇ューイチ、あの〇カ 88曲(?)僕はギネスに載りたい訳ではない。

その後が想定外でした。人気が出た、50周年までその人気で持たせた。今年は古稀。絶対に僕の思った事をやらねば、イヤイヤイヤ ルーキー新一 元々思っていて誰にも言わず、人気があるうちはそれで持たせよう。

鉄人バンドのころ、岡山のある隠微なバー キレイなお姉ちゃんがいる、店名がエロイ。そこで近い将来2人で全国を回りたい、古稀のコンサートで。3年くらい前、正式に福岡のホテルで契約をした。色んな条件で4つ下のKAZUさんに、ジジーがヤンチャな音を出して僕らがやったらどんなに・・(この辺 不正確)音楽人生の最期にこうありたい。1週間もたたないうちに「やりましょう」

この曲はああいう具合に・・考えはじめると 楽しい楽しい これから少なくとも目標は10年。2人で健康に留意して続けてゆきたい。

これが全てではない、もっと努力を重ねます。

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