日記記事にはしていないが、講習会にはちゃんと通っている、週二回なのだが、所用で一度になることもある。体配(動作)は少しづつ慣れてお小言はやや減ったが、まだ「摺り足がわるい」とか「動作が早すぎる」とか叱られている。言い返したりはしていない。射術の方は、この人(僕)は昔、自己流でやっていた悪い癖が直らない人だ、との固定観念を持たれてしまったようでその線で叱られる(指導される)ことが多い。いや、僕としては全くこだわっていないので、教えたいように教えて頂いて結構なのだが、そうすぐには巧くできないだけである。講習会ということで仕方ないことはわかるのだが、道場の指導方式で自分流に考えながらいろいろ試してみることができにくいのが残念である。もう少し上手になったとしても、道場の運営方式がこのままではやりにくそうだ。といって、自分の道場でないのだから仕方ない。そこで思ったのだが、昔から剣道(術)だの茶道だのいろいろな流派ができているのだが、それらはそのメインの技の方式が違うというだけでなく、その場(道場や茶室など)の運営方式が性に合わないとき分派するのではないだろうか。まあ、これは大学の研究室(依然は講座制ががっちりしていたのがこの頃は小(個人)研究室方式が多い)や会社組織でもいえることであろう。思えば、学生時代も顧問時代も弓道場で好きにやれていたなあと思うわけである。
今の弓道講習会・道場の指導的人たちを嫌っているのでは全くなくて、道を見つけるのはやはり、ひとり悩みながら工夫しながらやっていく方が向いているのではないかと思っているだけ。少しペースダウンしながら弓道していこうと考えるのだが、あと何年できるのかなあ。
今の弓道講習会・道場の指導的人たちを嫌っているのでは全くなくて、道を見つけるのはやはり、ひとり悩みながら工夫しながらやっていく方が向いているのではないかと思っているだけ。少しペースダウンしながら弓道していこうと考えるのだが、あと何年できるのかなあ。