長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

53   弓道講習会その後

2015-12-17 17:12:33 | 日記
 日記記事にはしていないが、講習会にはちゃんと通っている、週二回なのだが、所用で一度になることもある。体配(動作)は少しづつ慣れてお小言はやや減ったが、まだ「摺り足がわるい」とか「動作が早すぎる」とか叱られている。言い返したりはしていない。射術の方は、この人(僕)は昔、自己流でやっていた悪い癖が直らない人だ、との固定観念を持たれてしまったようでその線で叱られる(指導される)ことが多い。いや、僕としては全くこだわっていないので、教えたいように教えて頂いて結構なのだが、そうすぐには巧くできないだけである。講習会ということで仕方ないことはわかるのだが、道場の指導方式で自分流に考えながらいろいろ試してみることができにくいのが残念である。もう少し上手になったとしても、道場の運営方式がこのままではやりにくそうだ。といって、自分の道場でないのだから仕方ない。そこで思ったのだが、昔から剣道(術)だの茶道だのいろいろな流派ができているのだが、それらはそのメインの技の方式が違うというだけでなく、その場(道場や茶室など)の運営方式が性に合わないとき分派するのではないだろうか。まあ、これは大学の研究室(依然は講座制ががっちりしていたのがこの頃は小(個人)研究室方式が多い)や会社組織でもいえることであろう。思えば、学生時代も顧問時代も弓道場で好きにやれていたなあと思うわけである。
今の弓道講習会・道場の指導的人たちを嫌っているのでは全くなくて、道を見つけるのはやはり、ひとり悩みながら工夫しながらやっていく方が向いているのではないかと思っているだけ。少しペースダウンしながら弓道していこうと考えるのだが、あと何年できるのかなあ。

52    国際的・・・

2015-12-16 23:48:30 | 日記
 ラロシェルの国際ワークショップには十数ヶ国ほどの研究者が参加していたか、記憶と記録がないので不確かだ。その際に余興で<緑の牡蠣の騎士>の称号をもらったことは、以前のうずら日記の時に書いたか。海外でもらった唯一の称号である。まあそんなことより、ああいう国際的なグループに参加すると日本にいてはわからないことに出あえる。スペインからきていた若い男は、「スペインから来たんじゃない、俺はバスク人だ!」と怒鳴っていた、かといって純正?スペインの仲間と喧嘩していたわけでもなかった。フランス人たちは「そうだよな、わかるわかるよ」とからかい口調だった。スイスの大学院生たちには、皆(僕も加わったか?)、海がないのにお前の国の海軍は何を守るんだい、銀行の金か?」なんてふざけていた。アフリカのいくつの国からは黒い人たちが来ていたが、国ではややハイソな人たちなのか少しつんつんしていた。などなどキリは無いのだが、不思議なことに、アラブ系の参加者がいなかった。話題にも出なかったが、ヨーロッパ系の人たちはアラブを本当に異国異人と考えているかのようだった。我々の感覚以上の断絶があるのだろうと思った。40年まえのことで、その後グローバリズムがどんどん進んでいるので、現在はああいう国際ワークショップも変わってきてはいるのだろうが。しかし科学的世界ではアラブ系の科学(者)との協調は依然としてあまり進んでいないのではないか。人類の歴史を考えるとアラブ系の科学も相当重要であった(あるべき)はずなのに。

51    GAP

2015-12-15 23:44:39 | 日記
 ラロシェルに行ったのは、GAPに参加するためだった。GAPとは水域の光合成生産測定の国際仲間のワークショップで、一週間ほど合宿して共同実験をやり結果を見ながら議論するものだった。この時は、付着藻類を対象としようということで、フランスの水産研究所(そこはフランスの牡蠣生産の拠点であったようだ)で行った。3、4年ごとに行っており、海洋や湖沼のプランクトンによる光合成生産を対象にも行った。で、また一昨日の話に戻るのだが美術館の展示を見てそんな思い出に浸った後の歌会で、ある女性仲間の短歌が話題になった。骨子、海洋は地球の酸素生産の7割もおこなっているのに、20世紀はそれを汚染してしまった、という社会詠的な内容である。彼女は汚染とか原発問題とかの歌をよく作る方であり、僕はそれには反対でないが、海洋の生産が7割はおかしいと思った。僕の知る限り、光合成生産(=酸素発生)の60%以上は陸上植物(特に熱帯、亜熱帯、寒帯の森林)の寄与によるものだからだ。まあ、詩の世界だからなあとは考えたのだが、つい発言した。すると別の男性がネットでは66%が海洋だと書いてありますという。そうなのかなあ、とも思ったのだが、一応その方面の専門家だった僕としては譲ってはいけない問題だろうと対応した。たぶんやはり僕の方が正しいとは思うのだが、これは測定するのがなかなか厄介な現象なので、しょっちゅう検討発表されるものではないので、今の最新データではどうなのだろうか、とも思った。植物面からのアプローチだけからでなく、観測衛星やスーパーコンピュウターの助けでの大気物理的な解析も進んではいるのだろうか。


50    旅がしたいな

2015-12-14 23:31:05 | 日記
昨日、寄り合いのついでに入った美術館で旅と芸術の企画展示を見た。古代から近代までの絵画、彫刻、写真などのいろいろが見られて良い企画だった。ちょっと疲れて展示室の中央の椅子に腰かけてフランス絵画の中くらいの大きさがかけられている壁を見ていると、いつの間にか僕は列車に乗り、フランスの田舎を走っている幻想に落ちいっていた。絵が汽車の窓になった。薄茶色の牛がじっと反芻をしている景色がずっと続いている、そう、30年ほど前のパリからラロッシェルまでの記憶がよみがえってきた。それはすぐにさめたのだが、ああ旅にでたいなあと思った。このところちょっと忙しかったし、妻と温泉に行きたいねとも話しているのだが、それとは別に、もう少し茫漠とした、たぶん一人の<旅>に出ることを願ったようである。・・・


49   合評会・忘年会付き

2015-12-13 22:41:20 | 日記
 今日は、浦和のちょっと高級なお店で合同短歌集の批評会。なぜそこになったかというと、その店の経営者が当カルチャー(草田教室)の受講生になったからである。三代前の起業成功資産家・政治家の家が有形文化財でさらに骨董あるいはモダンな飾りつけを集め、会席料理を提供しているので、そこで便宜を図らってもらい、昼食すませてから批評会、4時間ほど、そして忘年会でごちそうをいただいた(20名ほど参加)。音楽の先生でもあるメンバーは唱歌の歌詞を配り、ピアノを弾いて合唱指導まで行った。短歌の出来もその批評もなかなか上出来の会と総括できるだろう(希望的観測)。仲の良い集まりである。まあ、皆それなりの年齢であるからそれぞれ困難を抱えてもいるのだが、ここまで生きのびてきている実績もあるのでこういうことができるわけだ。今の時代、若い短歌製作者はきびしいだろうなと思う。が、それなりに楽しくやってもいよう。楽しくとはどういうことか。