長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

578 ウスカワマイマイ9 保育園教育

2018-04-29 23:35:59 | 日記
 今日も良い春の日だった。連休なので埼玉県に住む二歳の孫が遊びに来た。そっそく見せる。でんでんむしむしの歌もかなり歌える。保育園で教えてもらっているらしい(良い教育だ)。「あー、ちゅのがでたあ」と嬉しそうだった。野生のを見たことはあるのだろうか?
  先日は那覇に住んでいる三歳の孫がライン電話にかけてきて、やはり歌っていた。当地にはカタツムリはたくさんいるから見てもいるし、教育も良いのだろう。一歳上なので少し芸が細かく両手でチョキとグーを重ねて這うデンデンムシを作っていた。今度来たら見せることになると思うが沖縄でしょっちゅう見ているなら感激は少ないかもしれない。


577 緑の中で

2018-04-28 23:22:15 | 日記
  今日はからりと晴れた日だった。四月末にしては気温が少し高いが暑いというほどではない。午後から東京農工大学弓道部射会(OB含む)に参加した。卒業時には無かったOB会ができていたらしい。先日それを3年先輩の方から射会があるよと教えてもらったので連絡して参加。今日はOB約15名(その先輩、僕、64歳くらいの人、その他は30歳前後のフレッシュOB)と現役約20名(今年の新入生は呼ばなかったそうだ)。東京府中の緑の濃いキャンパスにある農学部道場、以前とは建て替えられていてここで射をするのは初めて。歳は違えどこの同窓生達とするのは50年ぶり。道場に座って居ると昔のことが思い出される。隣の武道場(ここも昔と変わっているのだが位置的は同じ、時折すっとんきょうな剣道の掛け声が聞こえてくる。使用したのは星的でこの頃練習している霞的とちがってなつかしい。
 学生弓道と社会人弓道が違うとか何とか考えればきりがないが、そんなことはどうでも良いことで、いま僕は生きていて(亡くなった人たちを想う)、こんなきれいな晴れた日にみどりの風に吹かれて世間離れした弓を引いているのは不思議だなあ、恵まれているなあ、と。
 年寄くさいことを言いだすのがいやなので懇親会には出ずに帰ってきた。

576 ウスカワマイマイ8 増殖

2018-04-27 22:58:58 | 日記
飼い始めるにあたって考えたことは、「とにかく殖やす」「あまり手間をかけない」「研究するわけじゃない」。大きい目的は、カタツムリのいない(見当たらない)都内に放すことであった。動物の人為的分散には議論のあるところだ。この議論に対する僕の見解と今回のケースについて書きだすとたぶんくどくど粘質的な文になりそうだからやめるが、ともかく出発進行!である。
貴重な貴重な6匹であった。飼育方法はまったくいい加減で大丈夫だった。フタの有る箱に土と枯葉を入れ湿らせ、たまに野菜くずを入れるだけ。2週間ほどはそうしたが、改良した。土をじかに入れるのではなく浅いトレーに入れその上に素焼きの植木鉢の大きな欠片を伏せるのだ。掃除が楽になるり、素焼き片の裏側が適度な湿り気らしく、彼らは蝙蝠のようにくっついている。暖かい条件で湿気が多く、たぶん彼らが運動したくなった時に這いまわりだす。前に書いたように卵を産むようになってきたとき、この土トレーを取り出してビニール袋に入れておくと、およそ3週間で孵化してくる。一斉ではなくだらだら続くので孵ったチビを小さな飼育器(ヨーグルト容器など)に移す、ここにも土と枯葉と水と卵の殻(カルシウム用、必ずしも必要なかったかもしれない)。増えてくるのがうれしかったので、孵化チビの数は毎日数えた(写真)。卵塊内の卵数はいくらか産卵個体の大きさと比例するかなんてのは研究に属するからしなかった。たぶん30~40個なのだろう。また、6匹に2週間ほど産卵させたトレーからは60~200匹が生まれたからその中に数卵塊が産み付けられていたのであろう。孵化率は高そうだ。飼いだして三か月くらいになると、6匹はどれもたくましくなり産卵数が増えてきた。そうそう、寒い時期になったから、飼育器は家人がいるとき暖房する部屋の高い本棚の上に置いた。この季節、野外では乾燥したり寒かったりで動けないのではなかろうか。つづく。

575 ウスカワマイマイ7 出会いその2   2018年4月25日

2018-04-25 23:08:27 | 日記
  昨日の続きだが、北池袋の大通りに面した中くらいのビル前の狭い(2メートル四方も無いような)ツツジの植え込みにそのマイマイはいたのだ。そのビルと真中さんの関係はわからないがランニングでちょっと通りがかっただけで見つけたとも思えないので何かあるのだろうけれど詮索はしないと決めた。
  そうそう、真中さんのNHK短歌講座のテレビ出演は5月以降は第二日曜日だそうです。
  連絡をいただいた日の夕方、池袋駅北口からそこに歩きだした。途中、もし暗くて見えなかったらどうしようかとコンビニでバナナを一本買って半分食べた。現場はもう暗かったが懐中電灯(手回し発電の)をつけると2,3匹見つかったが狭い範囲でも探すのはなかなか大変だった(ツツジが密集しているので)。採って帰るつもりだったのでそんな少数しかいないのでは申し訳ない、もっといるだろうとバナナの残りをちぎって数か所に置き、近くにラーメンを食べに行った。小一時間で戻ると、フフフ、成功、バナナの周囲に十数匹がいた。どういう訳かほとんど同じ中位の大きさでうんと大きいのもうん小さいのも見つからなかった。その中から何となく元気そうなのを7匹持ち帰ってきた。そうそう、これは2017年9月上旬だったと思う(記録をつけていないので不確か)。
  カタツムリは逃げ足が遅いし、湿った土を入れた箱で野菜をやれば生きているだろうとたかをくくって部屋で飼い始めた。3,4日目に一匹が元気なくなり、しばらくして殻の上部に小穴が空いて死んでしまった。伝染が怖いからすぐ出して処分し、翌日飼育の箱を入れ替えて、太陽光にあてた土と入れ替えた(もちろんまた湿らせて)。以降、6匹は元気に育ち、と言ってもさほど大きくなるのではかったがじわじわ大きくなり、一月ちょっと経ったときに土のなかに卵塊があるのを発見した。今晩はここまで。
 
 写真の左上の大きいのが最初の6匹のうちの1匹(これを親世代としよう)次いで大きそうなのは初めての子世代、長子からだんだんに同じ兄弟(同一世代)だが若い子、右下の辺りは同じ世代の最近の子供か、長子あたりが生んで孵った孫世代か不明。厳密な隔離飼育をしていない。親世代と子世代のカップルの子かもしれない。最初に採ってきた時の7匹はこの写真の大から中の大きさのものだ。


574 ウスカワマイマイ6 出会いその1

2018-04-24 22:54:12 | 日記
 (571から) そういうことで、僕としては、カタツムリは都内にほとんどいなくなったのだろうと結論づけていた。もちろん多摩地方や明治神宮など緑が多いところにはいるに違いないとは思っていたが。地方に旅行した時に見られればいいじゃないか、カタツムリ専門家ではないし。しかし、♫でーんでんむーしむしという歌を多くの子供が知っているのにそれを見たことがないというのは悲しいというか許せないというか、と屈折した感情が起こっていた。
  そんなときにある知り合いというか、歌人の真中さんというか、そんな方がカタツムリの写真をフェイスブックに出された。この方は関西が拠点の結社所属で、さらに短歌愛好家にはよく知れているが、当日記の読者の中にはご存じない方もおいでだろう。幸い、彼は現在NHKの短歌講座の先生としてテレビに出演されているので、興味のある方は第三日曜日に早起きをしてご覧になれば人となりがお分かりになるだろう。僕とは不思議な縁である。ほとんど存じあげなかったのだが2011年に歌集『浮遊生物』を出したとき、出版社の送付リストにあって謹呈されたのだろう(有名歌人に対しては出版社がまあ自動的に行う)。集中の北園高校の歌に反応して葉書をくださった。これ以上詳しく書く必要はないが、そういうことで彼のご親族に北園関係が何人かおられ、僕の姉と同級であるとか、板橋の居住地が近いとか・・で、出版記念会でスピーチしていただいたのだ。その後、もう少し事情が分かると、さらに陸水学の先生系でのつながりとかもあることが分かってきた。きりがないのでこの件に関しては以下略。
  上述の彼の写真については関西には多いのかなと思い「いいな」と返事したら撮影場所は池袋に近い板橋か豊島区らしい!、「今度雨の日に案内してあげる」とかのことだったが、昔の地元を案内されてはオトコが廃ると思って、自力でさがすことにした。彼は鉄道マニアであるので、またランニングをするようなので、電車をながめやすいところで池袋に近くてまあ緑が多いところだろうと見当をつけて北池袋の線路沿いの小公園や重林寺というお寺を探したが見つけられなかった。お寺で草むしりをしているおばさんに尋ねたがこの頃見かけないという。仕事があったので半日で切り上げて家に帰ってきたら、もっと具体的な場所情報が送られてきた。何とそれはさっき探した重林寺のすぐ近くのビルの植え込みだという。そこで夕方遅くに懐中電灯をもって探しに行くと、おお、確かにいるではないか! ちいさなマイマイで正確な名前はわからないが、たぶんウスカワマイマイだろうと仮命名して今に至っている。・・・長くなるので今晩はこの辺で。
  写真はその日中一所懸命探して見つからなかった場所の一部。