今日は温かく晴れていたのでちょっと長めに玉川上水を歩いた。帰ってから靴底をみたらかかとがだいぶ減っていたので思い出したのが北園高校の山浦先生、生物の先生だった。写真は北園で最近撮ったのであるが、たぶん山浦先生の肝いりで建てられた供養碑だろう。それを昼間のFBに使っていたのは奇遇か心理的関連があるのかわからない。当時僕は化学部だったので、山浦先生には習っていて面白かったけれど生物部は軟弱だと思っていたので生物の勉強はあまり身を入れなかった。
山浦先生は古くからの先生で、10歳、9歳上の姉、兄(どちらも同じ北園卒)も知っていた。確か、彼らが高校生の時、家族の靴や下駄を学校に持ってこさせて、底の減り方を調べ遺伝の要素があるか否かを勉強に使ったとか、ご自分の論文材料にするとか言われたらしい。後年、都立大学の年輩の遺伝の先生に聞いたら山浦先生はちょっと知られた先生だったようだ。いま、検索したら15年ほど前に亡くなっていたが、「花弁のないハコベの発見」という板橋付近で見つけた草の論文を出されたようだ。おそまきながらご冥福をお祈りする。
山浦先生は古くからの先生で、10歳、9歳上の姉、兄(どちらも同じ北園卒)も知っていた。確か、彼らが高校生の時、家族の靴や下駄を学校に持ってこさせて、底の減り方を調べ遺伝の要素があるか否かを勉強に使ったとか、ご自分の論文材料にするとか言われたらしい。後年、都立大学の年輩の遺伝の先生に聞いたら山浦先生はちょっと知られた先生だったようだ。いま、検索したら15年ほど前に亡くなっていたが、「花弁のないハコベの発見」という板橋付近で見つけた草の論文を出されたようだ。おそまきながらご冥福をお祈りする。