長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

504 大降雨

2017-07-24 23:29:59 | 日記
  今日は大手町で会議参加。東京駅から行ったのだが高層ビルのサラリーマンは各種外国系の人たちも多く混じって颯爽と働いている(ように見える)。それなりに大変なのだろうが、平和だなあ。
  参加したのは河川系の会議なので、大降雨水害をテレビコメントしていた九州の河川工学専門家も出席していて、ヘリからの様子が映し出される。。局所的では9時間に800ミリの降雨だったとかで、山が崩れて地形が変わるほどというか変わってしまったという。山の木が根こそぎ押し流されて橋げたが詰まり脇から破堤してひどいことになった。ため池決壊も数か所。まだ遺体捜索も行われていて現地は大変な様子。
  やはり温暖化のせいで水蒸気量が増加しているので、今後もこんな気象状態が繰り返されることを前提としてこれまで検討もしなかったような方策(例えば各地に超巨大な遊水地形を作っておくとか)もとるべきではないかなんて隣の人と話をした。まあ、居住箇所というのはあるわけだから何とも言えない事態でもあるのだが。議事堂のやり取りなんてまったく白けるよ。


503 『マザーリーフ』

2017-07-16 17:54:57 | 日記
井上久美子第一歌集 本阿弥書店2017年7月刊
  井上さんはかりんの中堅。お住まいが三島なので東京歌会にはたまにしかいらっしゃらないが勉強会やイベントのお世話でときどきお顔を見かける。テキパキしていて物静かでもあり、気配りが優れている方だ。この歌集は独身の頃から結婚、育児を楽しむ今迄を編年体でまとめられている。ページが進むにつれて世界が広く多面的になってきたのが分かる。特に社会とか時代を意識したつくりはないのだが、現代に潜む不安感も感じられる。なぜだろう。ますますご活躍を。

途中しか歌えぬ歌を口ずさみペダルを漕げばかわくくちびる
急須には薄く残った茶渋あり紙婚式の日には磨こう
言いすてるように私を批判して毛布はゆっくり背中を向ける
これからのことはひとつも話さずに旅人として君の背を追う
台風情報うつすテレビの左した故郷はきれいな円にかくれる
ゆがみつつ唇かむは君のくせ子宝神社に横顔みれば
潮風にたえる鳥居を見上げればああこんなにもやさしい緋色
わがうちに異なる心音あらわれて金木犀にもむせてしまえり
泣き疲れ子が寝たあとの静けさはダムに沈んだあの家のよう
胎内に眠った形の名残見せ夜泣きの子の背はまるくふるえる
雪の日の一つの秘密をあたためて暮らすことかな夫婦というは
警告は常に静かにせまるもの たとえば北上してゆくサンゴ
孫にまで<先生>であった亡き祖父を探して見上げる夕焼けの空
ふっくらと白き頬もつ人にはず指名手配の写真の女(ひと)は
富士見通り、富士見マンション、富士書店 富士を冠に生きるひとたち
背中より老いてゆく人その背のふるえるをただ見ておりわれら
大判のアジフライ揚げるおばさんの背の蝶々はみずいろの羽
「ひとじちって?」五歳の問いにやわらかい言葉探して言葉は迷う
クリスマスに祖父から贈られたる本に子は知る学校に行けない子どもを
名をしるす子の横顔を見ておればルビのようなり私の春は
胸はれる行為であるか二人の子完全母乳で終えしことなど
唐辛子束にして売るJAに手首の細いレジの人おり

マザーリーフとはセイヨウベンケイソウの事らしい。ハカラメともいう。大きくなったり水分が不足してくると葉の周囲に小さな芽が無性的にたくさんついてきていくらでも増える。ずっとまえ小笠原の道端で拾ってきてずっと育てるというかほったらかしにしていたのだが、無世話が過ぎて消滅させてしまった。油断禁物。


502 法事

2017-07-14 23:07:09 | 日記
  今日は叔母の一周忌で埼玉久喜のお寺に行った。法要とかのセレモニーではなくて兄夫婦と三人でひっそりと共同的な墓参りをした程度。母の一番末の妹でダンスとかピアノとか多彩な人だったがずっと独身で仕事もしていて老後はホームに入ってひっそりとしていて92歳で亡くなった。ウチはあまり親戚的付き合いを多くするタイプの家ではなかったので詳しいことは分からないのだが、年齢的には戦争戦後のどさくさに翻弄された人生だったのかもしれない。どういう訳か英語が喋れたようで、昭和25,6年ごろ進駐軍関係のメイドさんをしていて、家人の留守中アメリカの家庭を見においでと姉と僕を呼んでくれたことがある。冷蔵庫、洗濯機、ジュークボックスなど幼い僕にはわけが分からんすごいものだった。まだ梅雨明けしていないのに今日は日差しがぎらぎらであった。

501 八郎潟

2017-07-12 23:19:10 | 日記
  先週の東北旅行の時,男鹿鉄道で八郎潟を通った。小学校の頃は日本で二番目に大きい湖だがもうじき干拓されてお米がたくさん取れるようになると教えられた。実際に干拓されて今は広い農地が見えるだけで広い水面は見えなかった。東京オリンピック(1964年)の頃淡水化と農地形成が完成したのではなかったか。子供だったので考えもしなかったが、そのころは強い反対運動とかあったのだろうか。米をたくさん作るのは良いことだと思っていた。その後、減反政策とか日本人の米食が減るとかいろいろ起きている。まあ日本にとどまらず、食料生産がどこかの飢えた人々を救うことにもつながりうるから、分配とか、国際競争とか、ごちゃごちゃを考える必要もあるのかもしれないが、何とも言えない話である。というのは傍観者的で現地の人がどう考えるのかが主であるべきかもしれない。みどりの広い東北を旅すると、国内であろうと世界的であろうと食料不足なんか起きるはずがないと思う(生産力だけで考えると)。いや、事実そうなのだ。


500 Roadsidelia dustiflora あるいは北沢先生

2017-07-11 22:42:21 | 日記
  道端のうす汚れた草花という意味の学名っぽい造語であろう。50年近く前に指導教員であった北沢右三先生がゼミの時などに生態系ないしは自然の場でのいろいろな生物の関係の仕組みなんぞの話をするときに持ち出していた語である。いまそういう植物を見た時に名前や学名を知らないと、つまりしょっちゅうだが、思い出す。北沢先生は土壌動物・生態系的まとめが専門のよい先生だった。僕はよその大学から移動して編入学したので正式な講義を聞いたことはないのだが、全体的に指導してくださった。東京を退職して九州の大学に移られたが早くに亡くなられた、九州はもっと暖かいと思っていたのに思いのほか気候が荒くてなどとこぼしておられた。懐かしく、ちょっと検索すると、ちょっと変な評判が出ているようだが、僕の知る限り、そんなことはなく良い先生であった(友人もよい思い出を持っている)。もう少し書きたいが関係者がまだいらっしゃるのでやめておく。