望月孝一歌集 2017年6月刊 コールサック社
かりんの歌友の歌集が出版された。当日記420でキノコの一連を紹介した作者である。歌集ではここ6年の作品をまとめられているが、すでに亡くなっておられた父、介護施設に入り亡くなった母を中心とした家族のうた、社会問題に対する気持ちの歌、文学系、それらと絡み合うご自身の思い出、まだ元気でバイクに乗っている日常の歌がやや硬質な詠み口で並べられている。僕と同年配なので、共感したり感心したりしながら読ませていただいた。元気で長生きしましょう。
意図があり歌の多くにルビを付けられたという。ブログ記事ではカッコ内にせざるを得なかったので少し煩わしいが、文書設定のせいである.うまく処理する手があるのかもしれないが僕は出来ないので、ご了解を。
ことば無き五歳ま近の男子(おのこ)いま屋内(やうち)なごむに声たてわらう
注愛は心耕す糧なれや 背丈伸び来し孫抱き上げる
夏の夜のわれにふた鳴きのみ伝え犬は幸(さき)くも十五を逝けり
担任の気がかり苛めに遭いし君羽化をはたして今は論客
昼食の美味(うま)きにつられ冷や酒を舐めたる午後は汗かきやまず
母親の悩みの息子はみんなの昔 おのれの体験まぶして諭(さと)す
わがひと世ちかごろ躓(つまづ)き多くして眼鏡の度を替え転びておりぬ
薬石に効あり二年を健(すこ)やかなれば山にぞ逢わんその山「劔」
若き女男(めお)の息せき登るに道ゆずり五歩を十歩へ、山は逃げない
シベリアに枷(かせ)を付けられ途切れなく進む列あり戻る列なし
不正義を糺(ただ)さむチェーホフ極東の地獄の沙汰を見据えて綴る
北海道は和人がアイヌを圧(お)し払いアイヌ逃げ来てギリヤ-ク圧す
帝政の一八九〇年はかくありし 革命成りなおラーゲリ殖えし
徴用の朝鮮人に石炭を掘らせしこの島 昭和の戦(いくさ)に
床屋さんしてもらったんだサッパリしたね「エリマキ」そうか寒いね襟元
ちょっと淋しいですが悲しくありません 弔辞を閉じぬ 別れはあるさ
父の子と我を証(あか)せる原戸籍送りていま得し軍歴確認書
今に知る父はソ満国境の守備兵なりきウスリーの岸
ドイツ製バルタ・ぺルレはコンパクト兵の私物にかないしカメラ
筑波嶺のつづらの道を下りゆき駅ありし街を一瞥に過ぐ
十六の歳より乗り来しバイクなり家業の配達よろこびなせり
先を急(せ)かすハイウェーを出(い)で野に林われの昔を探して走る
育て来し三人娘にそれぞれの喜び悲しみ与えつつ 秋
湧くように緋目高生れしひと夏も帰らざる夏野分(のわけ)ゆきたり
山頂に即席ラーメン湯気をたて匂い醸(かも)せば山ねずみ寄る