長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

544 『生きものの世界への疑問』新版

2018-01-31 23:32:45 | 日記
日高敏隆著 2018年1月30日発行 朝日文庫

 あれっと思われた方も多かろう。これは1991年に朝日文庫から出ている。内容エッセイの組み合わせが少し変えてあるのだろうか。日高先生はもういないのに。一番大きい追加は巻末に夫人の喜久子さんが「私が日高先生のイラストレーターになったわけ」という小文を書かれていることだ。発行にあたって送ってくださった。
日高先生には直接に研究指導をしていただかなかったけれど、僕は大きな影響を与えられている。ゆっくりいろいろお話させていただこうと思ったとたんにお亡くなりになってしまわれたのが9年前。 喜久子さんにはこのところすっかりご無沙汰失礼していたが忘れないでくれていたと感激。いろいろ書きだすと大変複雑にになりそうだからとりあえず発行のご紹介。


543  華族

2018-01-25 00:00:07 | 日記
今日はクラシックシネマの会で板橋に行く。年女の姉と会うのは五カ月ぶりくらい。映画は「安城家の舞踏会」1947年、松竹。封切時はキネマ旬報の年間ベストワンだったそうだが、僕はまだ幼児だったから今回初めて観た。華族制度廃止で没落する伯爵家の話。
華族制度、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の家柄が続くようだが、今もそれがあったらどうなのだろうか(原則として、そういう身分制度は賛成でないのだが)。ただ、それに付随する身分的職業、地位、見栄と金銭、。アンチ側の批判運動、などが社会の中の針・梁のように作用して、功罪は兎も角、あたかも細胞骨格のように社会体制を安定させる側面があったのだろうか。没落しなければ太宰の小説はずっと違うものになっていたか。スープをすするたび、考えたりする。

542 紅葉する老年

2018-01-11 22:48:21 | 日記
年末に吉祥寺をぶらついていて入った古本屋で見かけひょいと買ってしまった本。内容をダイジェストするのは僕の能力では無理だ。まあ、とにかくガンガンしぶとく生きよというような長生き日記推薦本である。この著者さん(1939年生まれ)もすごいな。

541  餅つき

2018-01-09 21:57:54 | 日記
幼いころ近所の大工だった親戚の家で餅つきをしたような気がするがおぼろげな記憶である。その後はたぶんお米屋さんの伸し餅を買っていたのだろう。東京の庶民はそういうのが普通だったのではなかろうか。大学二年の秋、弓道部の幹部交代の時だった。中りの率や練習の具合から主将かマネージャー(副将扱い)の有力候補二、三人の一人ではあったろう。しかし僕はその器でないと自覚していたし、通学生だったし、実験の方も忙しくやりたかったのでどう逃げようか考え、前任主将が「次のキャプテンは・・」と指名しかけた時、さえぎって「あのー、立候補して良いですか、僕は道場係をやりたいんですが」と申し出た。異例の展開となったが、主将には信州出身で駒場寮(府中なのに駒場を名乗るとは帝国大学農学部実科由来のため)に入っていた和田君、マネージャーには福山出身の大泰司君(下宿生)が就任した。それでよかったと思う。道場係はまあ道場の維持管理や道具の点検などが本務であり、外に巻藁を置いたりなんかしたのだったか。暮れになり、思いついて世田谷のぼろ市で中古の臼と杵を買ってきて正月に餅つき・新年射会をした。農学部だったし、地方出身の学生には餅つきの経験者が多かったので、僕は掛け声だけでことはうまく進んだ。つきたての餅はとても美味かった。焚火も良かった。確か次の正月にもやったのだが、臼の底が抜けてしまって、ごまかしながら搗いた記憶がある。その後引退、卒業および名古屋にいってしまったのでその臼と杵がどうなったのかは知らない。
  30年ほど経過して、僕は都立大弓道部の部長(顧問)になっていた。練習の方は監督に任せてあまり口は出さなかったが、あの餅つきを味あわせてやりたく、臼と杵を買ってきた。今度は底が抜けないように石臼にした。一応餅つきはしたのだが、学生さんのノリはそれほどでもなかったような気がする 東京っ子が多いせいだろうか、僕も東京っ子だけど。そのころ、三宅島が噴火し、全島民が東京本土に避難してきた。事務局が考えたのだろうが、山仕事になれている島民の方にキャンパスの緑地整備をお願いすることになった(良いアイデアだ)。生物学科が一番関係深いだろうとその対応係となった。放棄林でわさわさしていたのがみるみるすっきりしてきた。人工的でなくうまく枝打ちなどを進める山の知恵に感心したものだ。そのお礼に、餅つき大会をすることになり、僕は弓道部の臼と杵を移動させた。温室管理の主事さんがボデイビルダ―だったので重い仕事をもりもりやってくれた。島民の方々もとても喜んで餅つき大会はおおいに盛り上がった。臼と杵はそのまま温室に置き、管理は学科の庶務委員会にゆだねた。僕らにとっては深刻な都立大改変・首都大移行がごたごたし、個人的な事情も起きたのでしばらくして僕は都立大学を去ることになった。次の立正大学に運ぼうかとも思ったのだが、庶務委員会に言い出しにくかったのでそのままにした。あの石臼と杵はいまどうしているのだろう。
(フェイスブックのお友達が餅つきにふれていたので反応してしまった)

540  菊芋・キクイモ

2018-01-07 23:19:18 | 日記
烏山の短歌会の方から、掘りたての菊芋をいただいた。差し上げた拙歌集に出ていたので是非あげたいと思ってくれたそうだ。ほとんど生まれて初めて作った短歌だった。 
きくいもの黄あざやかなり夕まぐれ処理場脇行く石をけりつつ 『浮遊生物』
  あとがきも書いたのだが、キクイモは在籍した生態学講座の研究対象であった(僕はかかわっていないのだが)。ひまわりに近い植物で、塊根が芋になり貯蔵物質として澱粉ではなくイヌリン(果糖がつながった多糖類)を溜める。これはあまり消化吸収されないらしい。茹でたり、焼いたり、揚げたりして食べるとまずます美味しい。東京の八百屋さんではあまり売っていないが地方では時々見かける。いろいろ作ってみよう、楽しみだ。
  この方は元?農家の地主さん?に嫁がれた方で、絵手紙教室のベテランさんだ。絵手紙に添える短歌なんてどう、とか誘われて短歌を始められたようだ。庭が広いらしく、はじめは園芸花卉の歌が多かった。僕は短歌は詠むご本人の方針がはっきりしていればどういう短歌でもいいですよっていうタイプだが、きれいな花が笑ってる、なんてのより人事っぽい作品に熱を入れるのが伝わったのか、この頃は団体の飲み会?などで気を使って疲れている旦那さんを気遣うような作品を出されるようになってきた。それが良いのかどうかはわからないが。まじめで気遣いがしっかりしているのだろう。
  そうだ、今月末の会に菊芋唐揚げチップ作って持っていこう。