長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

527  意味があったのか・・

2017-09-28 23:54:28 | 日記
今日はちょっと思いついて昔の車通勤ルートをたどりちょっとそれて昔ちょっと関係した保全的公園に行ってきた。八王子である。ニュータウンの中のひろい公園で、運営はそういう関係のNPOが市から委託されて、展示館なども含めて扱っている。ずっと以前は農業用ため池だった池を風致保全地区の中心に据える方針で、そこは出来るだけ人を排除しようとした設計だ。住都公団が担当で、その池をどうしましょうかという相談に乗った。底には里山の積年の落ち葉が積っていて、胴長を履いて入ったときにはずぶずぶ沈み脚が抜けなくなって危なく化石になるところだった。どうしましょうと言ったって広げることもできない地形で、まあ、浚渫をするのなら一様でなく深みや浅瀬を作った方が良いでしょうと提案したのだが、重機操作が苦労してちょっとだけ深みを作ってもらった程度だった。もう25年以上前の話だ。その後、学生さんの実習に使わせてもらった。いま訪れると、人が立ち入らないようにしてあり、まあ当初の目的は保持されているようだった。今日は雨の週日だったせいもあるのだが、公園内を歩くのは少しのお年寄りだけ(あれっ、僕もだ)。せっかく作ってもらった深みだが何等かの役に立っているのかしら。多様性とか・・・。マイマイは見つからなかった。


526 『青い丘が待つ』

2017-09-24 23:44:32 | 日記
江川美恵子第一歌集 角川書店2017年6月刊
かりん中堅の江川さんの歌集。若いころの恋の歌から四十代で夫を亡くされた悲しい歌、その後を生きる息子娘との生活の歌が多いがさらにダンスや能、絵画などの広い関心と活動の歌が広がっている。作歌の方もこれからの希望があふれているのだろう。青い丘から見える世界を詠ってほしい。

飛び切りの笑顔は君の目の中でピチャピチャはねる魚だったとき
裏切った人も淋しかっただろう ヒマラヤ杉を見に行ったね
息切らし登る山なら君のこと思わずという思い方する
半年が限度の介護休暇なり そんなに持たぬと主治医は言えり
「いません」と答えればちょっと留守のようで戻るようで死こそ夢のよう
夫死して十五年の日々始まりと今あるほかはおぼろにかすむ
あっさりと「署名してね」と頼まれる「瓦礫処分場反対」断る
この人も教員のにおいさせている哀しむ理由などないのだが
サンプルの生などあらず鰓呼吸あぶくを吐かず哲学のごと
やめるかダンス 揺らぐほど蔓草のようにからまるリベルタンゴは
表向きできぬ抗議を夢の中で存分にしてずるいなわたし
うれしそうに棕櫚竹くれると言う父に即座に要らぬと言ってしまえり
話らしい話もせずに老いゆくわれら好きだった歌今頃知って
シャラ、シャラと貝殻みたいな音立てて父の遺骨はさよならと言う
アッシリアの戦士のレリーフ弓握る意志くきやかな親指の爪
人って小さい ことがうれしいブナ林のみどりの光ジグザグに降る
鴎外がエリスを忘れしそののちの哀楽の楽くらくら想う
萩の葉より黄蝶二つのこぼれ出て二つの黄蝶に濃淡のあり
恋多き女にあらず恋深き欅は風の音(ね)こぼしつづける


525  墨烏賊

2017-09-22 23:56:46 | 日記
  安売りの魚屋さんでスミイカを買ってきて刺身にした。名前の通り墨の袋が大きかったが、肉も厚くてうまかった。このイカはコウイカの類なので、胴体に大きな甲羅を持っている。多孔質の炭酸カルシウムでできているので、取り出して乾かすと軽い。
  弓道では弓の握るところをべたつかせないように筆粉を弓手につけることがある。筆粉は籾殻を焼いた灰が普通で(筆に使う獣の毛の脂肪分を抜くために使うのでこの名があるらしい)、主成分はケイ酸塩だろうか。しかし、このコウイカの甲を砕いて粉にしたり、甲に紐かなんかつけて道具的に常備し弓の握り皮にこすりつけたりして使うことがある。それをちょいとやってみようという訳。炭酸カルシウムだからまた別の利用法も考えている。
 

524 オームリ

2017-09-21 23:33:08 | 日記
バイカル湖の最重要(漁業としての)魚種のオームリはサケ科の魚である。八月に行ったとき買ってきて冷凍してあった燻製ものを焼いてたべた。やはり湖岸で新鮮なのをすぐ食べる方が美味しいが贅沢は言えない。生の刺身でも美味しく、現地では塩気で食べるが醤油で食べるのをやって見せたらうん、これも美味いねと言う。僕にとっては複雑な味なのだ。


523 川向こう

2017-09-20 23:52:55 | 日記
知らない町を歩きたくなって、都営地下鉄新宿線で東京の東端まで(シルバーパス、けちっ)。いつもの行動範囲からだいぶ離れているが人がたくさん住んでいる。高層住宅がたくさん。高い塔があったが登らずに水辺などを歩く。歩いている人の感じも何となく違う。いいなあ。どんどん歩くと、外国系(東南アジア、中東、南米?)の賑やかな子供たちとすれ違う、インターナショナルスクールがあるようだ。この子たちの何割かが母国に帰らず、ここで恋をして定着するといいなあ。百年後くらいの生活を想像する。
いま、現在はウチの近所では珍しい(昔は沢山いた)生き物をウチで飼っているのだが、たぶん非常に血縁の高い集団(7匹)なので、遺伝的多様性を増そうと、離れた場所で同種を捕まえてこようと思い探すのだがいない。SNSだか、人脈だか、専門家的だか駆使して探せばよいのだろうけど、そこまではしない。本気度が足りないんだな。
 知らない町を歩くのは良いものだ。いろいろ巡り合える。