長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

536 『短歌でめぐる九州・沖縄』

2017-11-26 21:15:24 | 日記
かりんの歌人桜川冴子さんが出版された写真と短歌の本。2017年10月刊、書肆侃侃房。
各地の写真と短歌(歌人63人分)とちょっとしたエッセイのきれいな本で、旅行に行く前に見ておくと良いだろう。残念ながらすでに行ってしまったところもかなりあるが、もう一度行こうか。そうだ、天草に行って干物を食べよう。
鮟鱇の干物にほへる天主堂訛りて祈るこゑを聞くなり  桜川冴子『ハートの図像』

535 虫好きと人生

2017-11-18 23:38:30 | 日記
『虫の神さま』 畑 彩子 第三歌集 2017年9月刊 ながらみ書房
畑さんはかりんの中堅歌人。校正その他でときどきご一緒する。二人の息子さんを大切に見つめつつ寄り添っている。男の子は虫が好きなことが多いが、この歌集からはその雰囲気が成長しながら少し移っていく様子が見て取れる。ずっと虫好きである必要はないのである。昆虫採集とか、珍な虫集めとかかなりマニアックな少年が本当に専門家になるケースがかなりあり、それはそれですごいのだが。かくいう僕も虫がそれほど好きってわけでなく。やや理屈に偏していたから大物になれなかった。でも、人生が豊かになるので畑さんの息子さんも楽しい人生を送れることだろう。まだまだ、お母さん頑張って楽しくまじめな歌を詠み続けてください。。
いつもいつも張りつめた目でわれを見る友と疎遠になりゆく九月
「虐待死は男児に多い」という記事を子が眠る間に五度読み返す
出生前診断すすめる看護師の老い深き貌に表情はなく
「たまちゃん」と胎児を名づけ長男はたまちゃんのためにおもちゃを作る
友よりもまず虫のことを気に掛ける息子の机にならぶ虫瓶
破顔とう言葉はありて生まれたての弟を抱く兄の表情
乳腺が腫れていますと指摘されわが視野急に白くなりゆく
ウオーホール展の真紅に浸りつつ軽く冷たい体躯(からだ)が欲しい
大人びた子供と大人になれない親が無言でスマホいじりつづける
私(わたくし)は小さな国の小さな王で小さなものを支配している
だんだんと大地を踏んで子はわらう春風わらう土筆がわらう
眉青き少女らどうと駆けてきて鞦韆四基をたちまち奪う
友達に言葉届かず友達は短歌をやめて道場へ行く
序ノ口の小さな力士が扉(と)の陰でハンバーガーを食べてる真昼
はっきよいおおはっきよいはっきよい湯気たちのぼる大相撲かな
立ち見した「汚れた血」いまも君の手が震えていたのを忘れられない
とぶ力すでに失くして春宵にオオミズアオは冷えてゆくのみ
「思春期」とう美しき名を与えられ少年はみな無慈悲な奔馬
ついにスマホを手に入れた子は遠く居てわれは一人でテレビ見ている
防人のごとき夫が帰り来て長男次男の背丈におどろく
両親と距離をとりつつ弟と語りあうこと増えし長男
ふるさとは浜岡原発近き町 のっぺらぼうの地図がひろがる

534 ヤ―チャイカ

2017-11-14 22:09:28 | 日記
『かもめ』鹿取未放第三歌集 2017年9月刊 ながらみ書房

鹿取さんはかりんのベテラン歌人。長いキャリと博識をお持ちだが僕より少し若いというので恐れ多い。校正など結社の用務でときどきご一緒するがいつもいろいろ教えて頂いている。この歌集は息抜きできぬような重厚さで一貫していて、このような抽出紹介では申し訳ない感じ。ちょっと前に検査入院などされて思うとこおありでまとめられたようで、よくぞ詠まれたという重い内容があるが博識でそれを昇華させていて、すごい。検査の結果も良かったようなのでますますご健詠を。

梗塞にことば出にくきちちのみの父と舌柔のわれいかにせむ
弾き振りの映画のをのこ美貌にてわれに敵あるを忘れて坐る
牢獄に萌えいづる王女の髪のごと黄梅日ごと嵩をましゆく
アカデミックガウン返せばうすやみのさくらさみしい素(す)の体なり
鴎外つて海境(うなざか)を越えてゆくことか 俯きてむしろ眼光つよし
みづいろの髪なびかせてミクは舞ふ 恐竜の脳は腰にもありし
ポアンカレの紐、スタヴローギンの紐絡まりてあまつみそらに今宵はをどる
鶏三十羽ケージごと背負ふ人ゆけりはつぽうに赤き鶏冠ゆるる
ジョムソンのたうげの途中に馬二十頭引き連れて馬子ははや乗れと言ふ
クローンの語源は〈小枝〉子がすでに読みて繊い傍線付さる
マンションのエレベーターを幾千回待つのかそのつどたいくつをして
スナメリの解剖中途に駆けつけたる息子ICUにはげしく臭ふ
病院に泊まり込むわが長椅子のまへ深夜の死者は運ばれゆけり
雲上のやうに水中のやうに歩きをる病むをとめらが廊下に長し
〈はじめてのケータイは何色でしたでふか〉ケータイといへど心にさやる
入院の父のベッドに爪切りてやれば「あれだなあ」としきりにうなづく
すずらんに朱(あけ)うばゆりに黒い実が垂れて母の頭の襞ゆるびそむ
己れ以外は全て棄てるといふやうに棄てて老い母鶴になりたり
旧いサスペンスのやうだ 頬かぶりのおうならに見張られ早苗田を縫ふ
午前二時にまし炊くむすめの過食症めし炊くはよき音のするなり
たたなはる蜻蛉(かげろふ)の翅ひやくまいたぐり寄せつつツイッター読む
木更津のどぶねずみと呼ぶ画家の友ゐて貧乏が楽しかつた
よべ死にたる父とふたりの母屋には満月はなやかにおとなひきたり
葬儀社の人つと寄りて四〇〇〇枚の写経は炉では焼けぬとささやく
じんるいのながきながき飢餓の裔(すえ)わが花の下にて食むおべんたう
学会へ行きて戻りてさらに行く子に見えない領巾(ひれ)をただ振つてゐる
眼鏡のうへにHazukiめがねの赤を掛け針穴に絹の糸とほしたり
塩にひらく菊花の蕪のしろたへのにひどしが苦くはじまつてゐる
最終診断聞きて椅子をたつときはあけぼのすぎのやうでありたい

533 ふーちゃん

2017-11-06 23:13:58 | 日記
『窓辺のふくろう』奥山恵第二歌集コールサック社2017年10月刊
奥山さんはかりんでかなり長いキャリアをお持ちの歌人。僕はあまり存じ上げなかったのだが、この歌集で様子が少しわかった。高校の先生をしておられ、そこで若者といろいろ楽しかったり辛かったりの経験が多かったそうである。2010年から児童書の本屋さんをしたり、児童文学の研究をされている。この歌集の批評会が今度の日曜日にあり僕も参加するのでお目にかかれる(僕は別の作者の歌集担当が主だけれど)。真面目に生きてこられている奥山さんのこの歌集を読むのはなかなか疲れたのが正直な感想であるが、それはそういう現場からだいぶ遠ざかっているからか、うーむ。ここにあげて紹介しきれなくてごめんなさい。
 題名のふくろうは本屋さんのお店で飼われていてふーちゃんという名前。ウチの沖縄の孫もふうちゃんなので親近感がある。
物語に賢人は言う「川になれ」と 目瞑りわれの流れを探る
三年かけて父の作りし木の書棚ここだけの空気占め店となる
選びし本の濃さを確かめつつひとりこっそり齧る黒糖
オレンジの円き眼をしてふくろうはからりと見上げからりと逸らす
うたた寝てわれは煎餅くさくなり君の背中に時間を問えり
〈家庭訪問〉むだに終わりて水銀の流れのような川を渡りぬ
自殺癖かかえる彼女の胸の帆の「張り切る」という言葉がひやり
ある夜はあやうき過去が噂され青年はあおき拳をさする
裏門を乗り越えてゆくひとりいて背中の羽根がシャツから出てる
この川はどっちに流れているんだろう簡単なことも澱む東京
斎場の階段の陰にひそみいて生にも死にもはじかれし記憶
物語「朝の読書(あさどく)」用に縮められ〈もの〉の気配もはかなくなりぬ
子どもでも奴隷でもなくハックとジムが星の由来を語り合う川
文明の中心非情に移りゆくクレオパトラ七世のいびつなコイン
泥にまみれ夕闇にまみれ実習の黒長靴は足に慣れゆく
警察に若者ひとり引き渡しうろうろとタクシーも止められぬ午後
「最後だし」「やろうよ」「そうだ」生徒らの言葉にわれはわれを見て来し
卒送会で真似されているわれ「いつも怒っている」とわが生徒ら笑う
灰となり流されるためガンジスに添いつつ老いてゆくひとの群れ
帰るきっかけどこかでさがしているふたり逃げて来たのにオキナワは晴れ
大潮の干潟にコメツキガニ群れて座り込みの午後ほろほろ明るし
この国に住めない場所のあることをわが反骨の鈴音とする