長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

313 『真珠層』

2016-09-30 21:48:35 | 日記
梅内美華子第6歌集 短歌研究社 2016年9月刊
 かりん編集委員梅内さんには校正やネット歌会の助言などでお世話になっている。薄地なのに引っ張りに強い素材、例えば蜘蛛の卵嚢、いやたとえが悪いか、うーん、菓子やお弁当をくるんでいる和紙のような化繊のような包装紙(これもあまり良い比喩ではないが)のようにきれいなのに強靭で、内に哀しみ、悲しみ、世に怒るもの、濃密なるものなどを包み込んでいる清々しい歌集である。

ふたご座の流星探す冬の夜に受精せし卵どこかに震ふ 
うつしみは精肉売り場に漂へる漂白剤のにほひに冷ゆる 
ワイシャツを胞衣(えな)のごとくに抱えつつ男ら並ぶクリーニング店 
舞ふまへの爪先ほぐし白妙の大切なふくろの足袋に入れゆく
さくらの日深爪をしてしまひたり心に何人も人が来るゆゑ 
海面の揺れるがままに波に乗る鴎ら ひとりは軽くてにがいよ 
勝手に一人で傷ついちやつてと風が吹く風は銀河を見にゆくといふ 
蔦の葉のすきまにのぞく白壁のやうにしばらく眠つていたい 
グランド・ゼロより光の塔が伸び素粒子のなかに泣きゐる人ら 
負け馬の尻尾でありし黒垂(くろたれ)はつやつやとして能舞台あゆむ
かたむきてボタンの穴をくぐりたるボタンのやうなかなしみに居る 
頬そげて菊池直子のあらはれぬ真面目に働き愛守りしと
銀色のボウルに豆腐おろすとき張りたる水はなめらかに抱く 
及び腰の小さな恐竜食つてやらう強き雨ふる梅雨の今宵に 
東電に勤めて長く帰らざる夫待つ友 銃後といはなく
もう一枚巣を張るために飛んでゆく小さき袋の蜘蛛のからだが 
能面の内より見る世はせまく細くただ真つ直ぐに歩めよといふ
ほの暗き腋は植物にもありて葉腋に咲く金木犀の香 



312  干ぴょうの歌

2016-09-29 23:01:18 | 日記
 今日は結社誌の発送の日なので大勢で作業。昼飯はお店でまとめて買ってきた海苔巻きや稲荷寿司および漬物(野菜)が配られる。海苔巻きには太巻と細巻があり、後者には干ぴょうが入っている。僕は定番の干ぴょう巻は好きである。なんであれが、とも思うが、味もそうだがあの淡々としていかにも日本の食物という感じが良いのだ。そして、干ぴょうは干ぴょうの歌が好きだから余計に好きなのだ。残念なことに、あの歌を妻も子ども達も知らなかった。僕は子供の頃に母がお勝手で口ずさんでいたから知ったのであるが、のちに北原白秋作詞と知る。曲も面白いと思ったが、さらに後年、鮫島有美子サンが夫君ヘルムート・ドイチュ伴奏で歌うのが特に気にいった。その伴奏は絶品である。歌手は伴奏者に曲の雰囲気を教えなければならないだろう。干ぴょう干しの情景をドイツ語でどのように説明したのだろうか、二人で栃木県あたりに見に行ったのだろうか、などと想像した。 歌詞はhttp://bunbun.boo.jp/okera/kako/kanpyou.htm 歌っている様子はユウチュウブにあるのかもしれない(めんどくさいので探したことはない(僕はカセットで聴ける))。
 承前295 もらった巨大なユウガオは妻に鳥の挽肉であんかけ料理にしてもらったのだがとても美味しかった。しかし食べきれないので四分の一ほどを細く切って、これが難しかったのだが、干ぴょうにした。ところがこのところ晴天がないので部屋干し。一気に干せなかった。歌詞のように長く干して揺れるような具合にできなかった。できたのはかなり茶色くなったミジカビノヒダヒダのようなものだ(写真)。茶色くなったのは仕方ないようだ。市販品の白い干ぴょうは二酸化硫黄で漂白してるらしい。長さも足りないので海苔巻きにするのは断念して、水で戻して小さく切って甘辛く煮て卵とじを作った(僕が調理)。やや歯ごたえがありこれもまあ美味しかった。
そうそう、先日の短歌の会にはこのユウガオをくださった青森のご婦人がおいでになり、庭の植木にユウガオが這い上がって5個ぶら下がった様子を聞けたことも嬉しい。


311  ガーベラ 

2016-09-27 21:59:45 | 日記
 今日はお墓参りの日。花屋さんを三軒回ったのだが、もう季節外れですとヒマワリは置いてなかった。それで黄色いガーベラにした。ガーベラもキク科で、南アフリカに多いらしい。薄紫はトルコキキョウ。花からアンダルシア、トルコ、アフリカなどとまだ(もう今後もかなんて思うこともあるが)見ぬ土地を思い浮かべる。


310  銀杏ぎんなん

2016-09-26 23:32:07 | 日記
 金木犀が香りはじめた。が、歩いていくと、うっなにか胸騒ぎする匂いが漂う。ぎんなんが落ちている。踏まれて外皮がずるりべたりと歩道についてといるところもある。食べる銀杏は大好きだった。高校に通う道に落ちていて少し拾って臭いのを我慢して外皮を剝き焼いて食べたものだ。農学部の時も食べた。名古屋でも食べた。その後世田谷の大学に通い出して二年目だったか、中庭に良く実を付ける銀杏(いちょう)があって、ある日、皆でどっさり取って、誰かが水につけておくと外が腐ってくるからそれを棒でがあーっと混ぜて中の実を取り出すといいよとか情報を持ってきてそうやって、があーっときれいな殻付き銀杏が用意できた。飲み屋に持って行こうかなんて話しながらバーナーの上のアスベスト金網に上で焼いてたくさん、50個近く、食べて満足した。その翌年、また食べたのだが、今度は少し食べた時点でなんとなく不調になった。その夜から眼の周りや唇が腫れて来て、臍なんかも、皮膚が剝けてきた。銀杏のアレルギーの始まりである。以来、ずっと食べられない。一二度食べたが、それほどひどくはないが発症する。茶碗蒸しに入れた場合、銀杏本体を食べなければたぶん大丈夫なのだが怖いので、外の卵が固まったところも食べないことにしている。誰かにあげるか、店によっては別の小鉢に取り換えてくれる。ずいぶん話のネタにはなってもらった。
 あの匂いは主に酪酸のようだが、酪酸にアレルギーなのではないだろう。バター食べても大丈夫だし、臭いところを歩いても気分は悪いが皮膚は剝けない。アレルゲンは実の中のたんぱく質だろうか。好きなのに食べられない唯一の食材である。


309  サンクチュアリ

2016-09-25 22:13:53 | 日記
 聖域というのが本来の意味で、宗教的な語源の言葉だろう。この頃は自然保護区など野生の動植物をなるべく大事にする区域として使われる。例えばウチの庭は水たまり(水槽)が多く、雑草が生え、殺虫剤はよほどでなければ撒かれず、時々産卵促進のためとか出僕の血も提供されるのでヤブカのサンクチュアリと言えなくもない。しかし、一定方向の圧力がかからなければ皆が勝手に増えようとするので競争が起こり、よそから天敵がやってきたりする。天敵にとってはサンクチュアリではない。このあたりについては動物だけでなく、人間集団、文化などについても頭の痛い問題である。
  『サンクチュアリ』大井学第一歌集。角川、2016年6月
 大井さんはかりんの編集委員で(編集委員というのは短歌結社ではまあ(まあといっては失礼だが)偉い立場の人である)、歌会その他短歌の指導でお世話になっている。評論、講演などを通じて短歌界ではよく名の知れた方だが第一歌集ということは満を持しての刊行だろうか。大きな会社の情報管理とか人事とかのお忙しい仕事をされている。で、工学部出身かなと思ったら文学部哲学の大学院出身だそうである。いつも文学、情報、哲学、音楽、美術、お料理、園芸などが混然とした発言をされる。この歌集は三十年近くの短歌キャリアからのもので若い時(いまでも短歌界の平均からみればずっと若いが)のものも混じっているのだろうか。仕事の歌もあるが(青壮年の勤め人の歌としてもとても良いが)、そういう題材よりも、そういう今の世に生きていくやわらかい感性の人間としての魂の揺れを唄っているのを特筆すべきだろう。そういう点で歌集名がピタリ(すぎるか)である。良い歌ばかりなので掲出に苦労する。地味系を選び過ぎたかもしれない。

射し込める朝日は部屋にゆっくりと光の塵をしずめゆくなり 
片隅に〈桜桃忌〉とぞ記したれば上司のコメントあり業務日誌に
しどけなく電車に眠る少年の微かにひらくくちびる憎し
掌(て)の中の完熟トマトの量感の心のごときを持てあましおり
伝えたいことは小声で語るべしツユクサ微かな風に揺れおり
旅に来て思う存分無口なり悪漢のごと朝市をゆく
はるのみず首都の蛇口にのむときを北国の雪たりしみず鳴る
「溜息?」ときみは問いけり日を浴びた髪の薫りを肩ごしに吸う
ピリオドを打ち忘れたるここちして雨の河原に飲む缶ビール
玄米のごはんの弁当おとたてずはみていしひと解雇せしわれ
「関係ない!」と叫びし吾こそ丸刈りにされてぱきぱき敬礼すらん
落日の選挙広報「投票に行きま・・・・」耳裂くハウリングせり
記憶とはすこしちがった場所にある君のほくろの三つを数える
休日を人と話さずスーパーのデコポンのへそ押して夕暮れ
真夜中のコンビニでコピーとるわれのコピーが窓からわれをみており
横にして昨夜おきたればあお葱の青起ちており 仕事に行かな
火がはいるほど透りゆく葛の湯は わすれたはずの未練は重い
熱を病むわれに仁丹ふふませきおおははの墓にセシウムふりつむ
厚焼き玉子なかにのの字のこげ色あり僕を起こしにきたときだろう
成人式会場横の池しずか婚姻色のひどりがも浮く
息の音は雑音 かたみに許しつつホールのシートにひとの息を聴く
墓碑銘(エピタフ)をみつめてきみは葉桜の薄き翳りに眉根くもるも