長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

532  ひーじゃー

2017-10-23 23:57:43 | 日記
  沖縄でヒージャーと言うと山羊・ヤギ料理のことだと思っていたのだが、先週行った時、本島南部をドライブして孫が遊んだのが樋川でヒージャーと言うようだ。石灰岩地帯の丘陵に湧き水があるとそれに樋を付けて集め、浅い池が作ってある。流下させてクレソンなどの水栽培や果樹園の灌漑にも利用している。誰でも入れるので沖縄の小さい子供たちには良い水遊び場だ。だいたいが母子連れでバシャバシャ入って単身でいた。水温は触った感じ24℃くらいか、気温は33℃だった。石灰岩だからかカタツムリが多く、アフリカマイマイもうじゃうじゃいた。小笠原で見た以来だから懐かしかったがずいぶん害もしているのだろう。ひーじゃーに飛び込んで水死しているのもいた。身近にこんな水場があるのはとても良いと思った。

531 『世界はこの体一つ分』

2017-10-17 20:44:50 | 日記
川口慈子第一歌集 角川書店2017年8月刊
  かりんの若手(と言って良いのか)のホープ川口さんの待望の歌集。前から面白そうな人だと思っていたが期待にたがわず面白くそしてよい。リサイタルなんかもやってしまうピアニストなのだが、音楽が前面に出てなく本人が斜に全面に出ている歌が抜群である。楽しく話していてもいろいろ見透かされそうな凄みもあるが楽しく奥行きのある歌だ。実はしばらく前、すこしマジメな話題で長電話したことがあるのだが、その時も電話のむこうでは、壁に這っているカメムシを焼き鳥の串でつついていたのかもしれないなと思った。まあ、こちらも似たようなことしながらだったかもしれない。時間は効率的に使うのが良い。音楽も相聞も友達の歌も多くてそれぞれどんな展開になるのかきになる。健康に留意して続きを詠んでほしい。おめでとうございました。

書きかけの手紙のような面持ちで友が校門を入ってきたり
アラベスク模様になって中心が体のどこにも無くなっている
人の匂い濃くなる夕べの商店街体のどこか醒めて歩める
青虫を掲げ更新する蟻のそのまま凱歌の音符の形
電線にボラギノールの形して鳴く山鳩は大嫌いです
サイコロ野菜刺そうとすればすぐ逃げて笑い上戸の友と笑えり
大口でほおばりはじめた厚切りのトーストに消えてしまった不安
断りの言葉が底をついたからペコちゃんグレードの笑顔で応ず
砂の城作って壊す束の間の指先濡れし恋と思えり
カフェの床をクモ不器用に突き当たりつき当たりつつやがて隠れぬ
実存に傍線のある君の本実存超えてまた会いにいく
電球を替えんと椅子に見下ろせば我が暮らしいる一室縮む
自転車で我を追い抜ける初夏の男カナブンの匂い残しぬ
心配をしてくれるのはありがたいミニサボテンの埃を落とす
環七を走るトラック音程を確かめながら眠りにつきぬ
電線の上渡りゆく夏雲よ実体のなき恋は安泰
私にあって君には無い記憶いたわりながら鼻をかみたり
舞台そでに楽譜を置きぬ幼き日ここで見守りくれし先生
線香でアブラムシ焼く父親の肩甲骨に横たわる光
真夜中に自販機ガーンと蹴る人の正義に震えている自販機

530 『裸眼で触れる』

2017-10-10 22:39:39 | 日記
  松本典子第三歌集 短歌研究社2017年9月刊
かりんの女性歌人で、お能関係のお仕事をされているらしい。歌会では的確なコメントをなさるな若い方で、あまりお近づきになることはないなあと思っていたが、夏の全国大会で僕の歌を褒めてくれたので親近感を持つ(現金な奴だ、あ、僕の事)。古典と現代、日本的と世界へのまなざしが違和感なく同居している歌集である。父母の歌、相聞歌もよい。鳥がお好きなのかも。

しめり帯びてふくらむ心の稜(かど)きみが湯ぶねに読める『山家集』かな
そらに舞ふ桜 こころはわたくしの体こそせまき囲ひとわらひ
みずを汲みいひを炊く電気にまさるもの答へられず劇場は閉ざせり
さくら咲きわれは舞ふのみだれもみな代役のきかぬいのち生きゐて
春の塵モップで拭ふひとありて黄を取りもどす点字ブロック
書き上げてなディテールを書き加ふる感に詰めゆく君との日々を
ひなどりら発ちて静まる百舌鳥の巣に孵れなかつた卵がひとつ
きふとけふは違ふから街へ部屋干しのシャツの匂ひに腕くぐらせて
遠からず奇貨と呼ばれて籃(かご)に揺れむ遺伝子組み換へでないはない子ども
たちのぼる香をおもはせて舞へと言ふゆうがほの扇ひらくとき師は
いちまいの扉とおもふわがからだ君のこゑ青く吹き抜けるとき
だれの眼にも触れざりし句誌書架にならび祖母三十年の孤独をおもふ
はぐれたる半身のやうにおひなさま集むる母よ戦時に生まれ
オレンジの拘束衣目に焼きついて立ちすくむ燃える夕やけのなか
シリアから逃れしだれもが持たぬ鍵ひかれりわが家のドア閉むるとき
わずかなる野菜育つる少女の向かう青ぞらと崩れ落ちし建てもの
おもざしを鋭(と)くし稽古を重ねゐむまことの「山姥」舞ふべくきみは
春うらら渋谷の狭き坂をゆくCoca-Colaの赤いラッピングバス

529 『鳥語の文法』

2017-10-03 21:31:21 | 日記
半年ほど前、慶応大学だったかの人たちが鳥の鳴き声に文法があることを見つけたとかのニュースがあったが、それとは別に(時期的にももっと前に)この歌集の歌と題が作られていたのだろう。鳥の声に文法があるだろうとはそれほど驚くことではない(鳥研究の人にケチをつける気は毛頭ないが)。
遠藤さんはかりんの中堅(と言ってい良いのかな)歌人。歌会やネット歌会の仕事などでときどき一緒になる。事情あって離婚された時期を含む近年の歌をまとめた歌集だ。中国・台湾関係のお勤めをしている年齢なりの端正な歌が並んでる。大学は化学系だったようだが歌つくりはそれと関係なく年季が入っていて、僕なんかはある意味で男っぽさを感じる詠み口である。すでに有名だがこれからどんどん大きくさえずるのだろう。すこし崩れたものが出てくるとすごくなる気がする。

  遠藤由季第二歌集 短歌研究社 2017年7月刊
月光はスライスアーモンドより脆くみじろぐたびに割れてしまった
戸の軋む食器棚にはガラス板疲れ切りたるわれを映せり
どうすべきだろうかわれはこれからを八ッ場(やんば)ダムある吾妻に立つ
後ろめたさを靴底のように減らしゆかん皀角(さいかち)坂をくだる夕暮れ
ペットボトルの首を掴んでレジへゆく烏の首の太さ思いつつ
もやしからひげ根を取ってゆくような経理の仕事今日もこなさむ
風に想いを乗せる時代はとうに去りスマートフォンを弾く指先
均一なる韓国美女を思いつつ小分けされたる豆腐を選りぬ
ふくらはぎぱんぱんに張りキッチンに横たえてある春牛蒡踏む
ふきよかになりゆくからだ気にしおる姪を包めり春の制服
残業をする静けさに垂れてくる人恋しさはもずくのようだ
マニキュアの剝がれ始める水曜日ひとさし指に台湾島浮く
「中央大学もリタイアのようです」中継は途絶えてその後誰も語らず
亀の子と呼ばれしベンゼン環いくつ描いて恋を越えしかわれは
生協の卯の花箸ではぐしいる三十代もおわる雪の夜
ひとすじのバグを水面に残し去る水鳥あれは消すべき記憶
シナモントーストうまき「倉嶋」閉店す風の鋭き県道角地
衆院選冬を連れ来し 決して世を歌では問わず与謝野晶子は
冬の枝はレースのようだ甘いのは悪いことではない、逢いにゆく
鳥語にも文法があり複雑な声音に愛を告げる日あらむ
語るでも黙るでもなく姉とわれもっくりと座しお茶を啜りぬ
糊口とはなんとも息苦しいことばほぼしゃべらずに仕事しており
夕映えにまだならぬ陽の鋭さを照り返しつつ車列流るる




528  51年ぶり

2017-10-01 23:40:17 | 日記
快晴の今日、杉並区体育祭の一環の弓道大会・一般の部(弓道部の学生は駄目)。オープン参加の会だが参加者のほとんどはいつも上井草の弓道場で練習をしている人達。35名参加、区内で弓道やっている人たちはもっといるはずだが、他の道場でもやっているのか?僕は練習量が少ないのでビビっていたが参加してみた。こういう大会に参加するのは思い返してみれば学生時代の試合以来だから51年ぶりである。結果、20射8中、自己願望よりだいぶ少なかったがまあ仕方ないか(などとあきらめるのはよくないと思いつつ)。無段の僕以外はみな二段以上六段まで。僕の成績で中位以上なのだから皆さん中らないなあ、少なくとも僕の8倍ほどは練習しているようだが。的中を目指してないのかも知れない。別にこれは自慢ではなくて正直な感想。