長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

600 外国語公示

2018-05-30 23:58:32 | 日記

このごろ近所の空き地を眺める癖があるのだが(マイマイ関連)写真のような外国語の公示(というか)を見かけることが多い。日本語だけより良いのかもしれないが、もっと国数を多く意識しなくてよいのか?ヘイト的に言っているのではない。また、先日港区で校正をしていたら窓の外で聞こえていたのだが、区の音声(避難的)広報で、日本語のあの間の空いた放送の後、英語でもすごく間の空いたアナウンスがあった。あれで通じるのかねえ。反響の問題があって間を明けているのはわかるけど。

599  散らばっていく

2018-05-29 23:24:23 | 日記
  昨日、虫の赤ちゃんが円陣を組んでいるのを見つけた。虫に詳しい方によるとクサギカメムシではないかという。たぶんそのたぐいなのだろう。この状態で一度脱皮し、しっかり歩けるようになって散らばっていくようだ。どうなるか見たいと妻が言うのでカンに入れておいてが一日経っても変わらないので元居た場所(エゴノキにまぎれている竹の葉)に戻した。カメムシは葉に口を差して栄養を吸うのだろうから竹よりエゴの方が良さそうだし、いやならまた別の樹を探せばよいだろう。しばらく円陣のままだったが竹の葉が萎れて丸まってきたせいか、少し動き出し、エゴの葉裏でまた固まりだした、集合性があるのだ。さてこれからどうなるのだろう、見たいけど見てもどうなるものでもない。寒暖晴雨敵も多い世を生きていくのだ。カメムシの場合、うまい木が見つかれば食事は心配ないだろう。
美しい五月はあと二日だ。すこし感傷的な気分になって、49年前の五月を思い出した。僕ら(とは何か)も大学闘争の時にあって何らかの衝動にかられ集まり、少し反抗し、迷い、それぞれの方向を探すべく散らばった。すべての人がそうなのだろう。そうやって、今まで生きてこられた、亡くなった者もいる。RIP。

598  環境DNA

2018-05-28 23:58:43 | 日記
  好きな言葉ではないけれど、昨今、環境DNAと呼ばれるものがある。どこかの場所を環境ということ自体いやだけど、例えばどこかの川岸の原っぱで生き物ではなくて土とか水とかをとってきて、その中のDNAを抽出し、その塩基配列をえいやっと調べて(金はかかるが比較的簡単に短時間でできる)それをそういうデータベースと照合すると、その「DNAは登録されている○○魚と高い確率で一致するから、そこに○○魚がいたはずだ」というような使われ方をする話だ。いまの机上の環境DNAをしらべればハマグリがいたことになるのは間違いないだろう(写真は見せなくても)。環境DNAを使えばいろいろなことが分かるとか、これで金儲けができそうだとか、そういうのが現代の科学だとか、とんでもない間違いが起きるぞとか、きちんと調べるためにはデータベースをどう充実させるべきだとか、○○魚と○○△魚は区別できないとかできるとか、やはり形態学の専門家が必要だとか、かまびすしい状況になっているようで(学会もできたとか)、これからさらに騒がれるだろう。とりあえず。



597  君の名は。

2018-05-27 23:38:20 | 日記
  今日は所属する短歌結社の四十周年パーティーが新宿のヒルトンホテルで行われた。このホテルに入るのは初めて。来賓と内部あわせて400人くらいの宴会。有名人は顔でわかるが無名人はわからないのでみな名札をつける。だいたい左胸下部。まあそれほど確認したり名乗ったりしたりすることはないのだが、知らない方に声をかける・かけられる場合、その方向にさっと視線を走らせる。
  べつに今日のことではないが、僕は人見知りでこういう初対面は苦手な方だが、このごろ人の名前が頭に入らなくなっているので、また、他のそういう人たちも増えているので、名札は見ないで先にワタナベですとか名乗ったり名乗られたりしてから会話に入ることが多くなっていて、こういうのは助かることが多い。ホントに顔はわかるが名前が出てこないことが多くなっている。名札見てからも照れ臭いし。こういう対面の仕方は最近のことなのだか、昔から拙者は・・と名乗っていたのか、知らない人と話すことは多くなかったのか。
  30年近く前、ロシアに初めて行って何かの会食の時5,6歳の女の子を連れた女研究者さんがいて、この子は・・と言いかけた時、我々側の一人、同業の大先輩である奥田節夫さんが「ちょっと待って」と進みでて(彼はひょろっと背の高い少しこわもての顔の人だったが)女の子の前にしゃがみ「カークヴァースイーミャ」と話しかけた。それに対してその子は、恥ずかしそうにアーニャだったかカーチャだったか小声で答えた。奥田さんは「昔ちょっと覚えたロシア語が通じたよ」と嬉しそうな顔をした。いまの僕より若かったのだなと懐かしく思い出す。