長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

13 いつまでたっても

2015-10-27 23:50:47 | 日記
 昨日の朝日新聞夕刊の記事である。東京の皇居お堀の水をきれいにしようといくつかの対策で取り組んできたが効果がパッとしない。アオコも浮く堀を見て外国人観光客が苦笑しているという内容で、社会面にかなり詳しく報告されている。特に2020年のオリンピックまでに現在30~160センチの透明度を200センチまで改善したいが、出来るのかな~、といった内容である。対策案にも触れていておおむね妥当な記事ではあると思う。
これについての発言は僕としてはなかなか難しい。というのはその対策検討委員会のお世話を20年近く前に数年間やっていたので埒があかない責任も少しあるし、なかなかうまくいかない事情も分かるからである。こんな日記に書かず、当局に乗りこんで意見を言うべきかもしれないが、どうもその立場にいるわけではない。現在の検討会の座長は僕よりだいぶ年配の方だ。過去の検討内容は引き継がれているはずだから、問題は抜本的対策をどう実行するか、その裏づけとなる予算が獲得できるか、それを支援する行政および世論が盛り上がるかだ。そもそもお堀の水の透明度を2メートルとする目標は適切か。お堀の水の透明度は水中の植物プランクトンの増殖でほぼ決まるのでその関係の陸水学的・生態学的因果関係をいかに操作できるかにかかわっている。48万トンある水量なので、どこからか透明な水を大量(1日15万トンくらい)に引き込んで流せば可能なのだが、それは費用的に難しかろう。ではぼちぼちとか言って、2年前から2万トン処理(といっても純水とするわけではない)できる施設を作ったそうだが、そこを通して循環させても生物の増殖速度がはるかに高いので効果はほとんどないだろう(特に夏季)。現在は大雨の時下水の流入があるので生物生産を支える水中栄養元素が供給されてしまうのが問題である。などなど・・。20年ほど前からボチボチ行っている底泥の浚渫などの対策は少しは効果が出ているようだが、ボチボチでなく一気にやればと言っても、予算が・・となかなかはかどらなかったので実情である。
このような事例にいくら費用をかけられるのか、いわゆる事業仕分け的感覚で議論するとどうなるのか。関係省庁、地域行政の意思統一、透明がが良い、やや濁っている方が風情がある、魚も水鳥もたくさん居ると良い、水草が欲しい、いやいらない、などの受益者市民感覚のまとめ方・・・。権力者が出てきてえいやっとしてしまうのが良いのか、ボチボチやって、お金が循環して、新聞記事にもなって、検討会も続いて、何やってんだ!などといつまでも話題になっているのも良いのか・・・。

12 他愛ない

2015-10-25 23:42:52 | 日記
今日は晴天だったので、妻と高円寺あたりをぶらぶらした。お寺がいくつかかたまってあったり神社があったり。萩が咲いていて秋の感じ。駅前のトリアノンでケーキを食べて・・・。長生きして閑だと人生は他愛のないものだと思ったり。


11 つらつら

2015-10-18 22:58:25 | 日記
また日記の更新が滞っていたのは退職者なりに忙しい日が続いたから。滞っていても叱られるわけではない。少し公用があった、北海道に孫の顔を見に行った、弓道再開でスタートダッシュかけた、事務局をやっている短歌系の大会があった、少し気鬱(えっ(^^♪)である、近所の娘がちょっと忙しい、ちょびちょび用事があったなどなど他愛のないもの。
 保守・革新とか右派左派とか考えているのだけれどどうもこの二項対立が成り立たなくなっている。もうとっくの話かもしれない。安保関連法案などに関するイロイロの意見、動き、ネットで入ってくる情報、など勘案しているとき、どうもこれから危ないなという気がする。日本があまり関係しない戦争に巻き込まれるとか、いやみんな関係するのだとか、徴兵制だとか、そんなの時代錯誤だとか、若者のデモは期待したいとか、いやいかがわしい気がするとか、かいろいろあるわけだけれど、日本中ストレスが溜まっている。つらつら考えるとストレスからは内部抗争に展開するのが常道で、世界情勢を見ても、国家間領土分どり戦争よりは内戦が大きな問題である現代だ。いや内戦と言ってもそれぞれに両方の言い分もあるのだとは思うが。いや、あのISとか言うのはよくわからないが野蛮的権力争いとストレス症状と人間の根源的暴力願望が入り混じったものだろうか。ストレスが高まっていると、ちょっとしたきっかけが暴力的紛争に発展する。この頃の旧左っぽい人たちと旧右っぽい人たちの様子を見ると、そんな争いごっこ(失礼)しているうちに、カルト的盲動、ブラック労働での疲れと不満などの引き金で危ないことが起きてしまうよ、と警告したくなる。傍観者的かなあ。
 今日は荷物運びで車を動かしたのだけれども、交差点で信号が変わっても前の車が動かない、次の信号まで待っても動かないのでちょっとバックしてすり抜けて出たら、その車(工務店か運送関係の軽だった)の運転手が爆睡しているようだった。後ろからせっつかれたからそのまま走ってしまったがあの運転手大丈夫だったろうか・・・。


10 弁当から

2015-10-06 00:18:25 | 日記
今日は久しぶりの公用で某会議に。折詰弁当が出たが、その箱、仕切り、がプラスチックの乱用で気になる、と言ってもいつものことだけれど。最近は素材・化学原料・熱エネルギー的なリサイクルが少しは進んでいるがやはりどう考えても良くない。といっても造る、売る、使う側の利便、経済性があるわけだけれども・・・。そんなことを相変わらず思っていたらこんなポスターがあった。縄文時代に戻れはしないけれど、うまい具合の回帰ができないか。小さな単位だと出来るのだけれど、大きい文明的に、のこと。

9 弓道再開

2015-10-03 22:57:33 | 日記
昨日から区民弓道講習会というのに行き始めた。週二回、夜3時間ほどの予定である。申し込み制、定員60人で殺到するかと心配したがそんなことはなく、新規者は10名弱であった。常連さんも申し込みが必要なのかもしれない。5人立ちができる道場に35人程がいた。五~六十代が多く、高校生、大学生くらいの若者もいた。僕は初心者ということで、弓を持たずの型の練習から行う。学生の時から考えると約50年ぶり、勤め先の顧問(3年ほど、学生に交じって少しやった程度)からは25年ぶり。経験者です、と振りかざすのは嫌がられるだろうからと黙々とやったが、そこはそれ、一応基本は出来るので見ていたベテランが「経験がおありですね、何段までとったのですか?」と聞かれたときはちょっとうれしかった。いや無段なのですよ。本当。学生時代に審査を受けていれば二段くらいはとれたのだろうが、審査の日が実験だったとかなんかで受けなかったのだ。ゴム弓の型までやってだんだん思いだしてきた。他の新規者も熱心にやっている。常連さんは皆さん感じよく、また射型も優れていた。あたり外れを気にしない弓道のようだ。実を言うと僕はあてっこ的弓道が好きなのだけれど郷に入っては郷に従えで、のんびりやっていこう。次回には弓を持たせてくれるかな。腕とふくらはぎの筋肉が少し痛い。