寿堂 紅梅
2月2日に
今日のお稽古は更好棚で薄茶点前。今月から初めの方に初炭手前をやってもらおうかな・・・。
とつぶやいたら
Aさん:更好棚お稽古に使うこと多いですが、この棚だけが最初棗中板に飾って最後に天板に飾る。しかも湯杓・蓋置が中棚に飾る。私の記憶の中ではこの棚ぐらいしかない。 普通は棗が中棚、天板に湯杓・蓋置がくる。 何故この棚だけこんな飾り方するんでしょうねぇ。炭手前 炭の暖かさがイイ季節ですよねぇ
Bさん:利休好みの三重棚の上の棚を取ってできた棚で、それゆえ「更に好む」棚となったようです。飾り方も本来の三重棚に準じたもので異例の飾り方になったということでしょう。玄々斉は利休居士をしのんでお好みになったのではないでしょうか。
Aさん:三重棚の上の棚を取ってと聞いたので、実際にと三重棚持たないと分からないと思い求めました。まず、驚いたのは大きさでした。更好棚よりかなり大きい高さは当然でしょうが、板の面積が大きい、さらに上から一段、二段と数える。事でした。
更好棚は親交深かった九条宮(?)の快気祝いにお茶を差し上げた時に好んだと聞いております。それで爪紅にして祝いの意味にしたと。であるならば 荘り残す棗の上に、湯杓蓋置荘るのを憚ったのでは?
つぶやきのコメントにしておくのはもったいないので、ここに一部編集して再録いたしました。
わたしもお家元の青年講習会で「利休好みの三重棚の上の棚を取ってできた棚」とお聞きして、教本で三重棚の薄茶点前の荘り方を確かめましたら、上から2段目に柄杓・蓋置を荘り、3段目に棗が荘ってありました。
やはり更好棚は「荘り残す棗の上に、湯杓蓋置荘るのを憚った」のかもしれませんね。
以前、良寛ゆかりの国上寺で良寛会総会があり青年部でお呈茶をいたしました。荒磯棚で急にお点前をすることになり、普段のお稽古で更好棚に慣れていたため!?棗を天板に荘ってしまい、後になって間違いに気づいたことがあります。それ以来、常に荘り方をチェックするようになりました。「良寛会の皆さんは気づかなかったよ」と慰められましたが・・・。
更好棚の荘り方についてはこちらをご覧になってください。
http://blogs.yahoo.co.jp/soukei0322/55490225.html
今月の淡交カレンダー。大炉のイメージか逆勝手に桑三重棚。桑三重棚って表千家7代如心斎好みがありますが、それかな?