さて、今回のしりとりは「千鳥茶巾」の「き」を受けまして「木地釣瓶・きじつるべ」。
檜の木地を用いた水指。水で濡らして使います。紹鴎が井戸から汲み上げたままに水溜として好んだのが最初とされます。それを利休が席中に用いました。利休在判のものや、裏千家11代玄々斎の教歌直書のもの、14代淡々斎好み竹張りのものなどがあります。
名水点といって名水を用いて茶を点てる時に裏千家では、木地釣瓶に画像のように注連縄を張ります。
「芝山監物」「露打ち・つゆうち」
席中で用いる花のみずみずしさを出すために、霧吹きや茶筅で露をみせたり、また懐石では寒中以外は椀や折敷に茶筅に水をふくませて軽くふりかけたりすることをいいます。乾ききったことを嫌う茶趣のひとつです。
ちなみに茶の湯で「露」とは
①茶杓の櫂先の先端のこと
②掛物の垂風帯の下端左右についている小さな房状の綿糸のこと
③茶入などの釉薬のなだれ落ちた先端の溜りのこと
また「三露・さんろ」という言葉があり
露地の三露とは、露地にまく、席入前の初水・中立前の中水・退席前の立水のこと。
席中の三露とは、掛物の風帯の露・花の露・茶杓の露をいいます。
次回は「ち」
「口切りの茶事」「芝山監物・しばやまけんもつ」
桃山時代の武人。利休七哲のひとり。通称源内、初名俊一、のち宗綱。はじめ石山本願寺に属し、のち信長・秀吉に仕えました。秀吉のもとで歴戦の功により監物に叙任、天正16年(1588)4月の後陽成天皇の聚楽第行幸には前駆をつとめています。茶の湯では天正9年2月19日に山上宗二・津田宗及を招いたのが記録上の初見です。
「雁取」長次郎七種のひとつ。利休が愛弟子の芝山監物に贈ったところ、返礼に鷹野の雁が送られてきたところから「思ひきや大鷹よりも上なれややき茶碗めが雁を取らんとは」という狂歌を詠んだことに因みこの名があります。胴にややくびれがあり、高台に利休の書判とされる朱漆がわずかに残っています。サンリツ服部美術館所蔵。
次回は「つ」。
「和敬清寂」「口切りの茶事」
すっかりサボっておりました「茶の湯しりとり」。今回は「口切りの茶事・くちきりのちゃじ」です。
お茶の葉を詰めた茶壺の口を切ることを「口切り」といいます。冷蔵庫のなかった昔は、茶師は春に摘んだ葉茶を、茶壺に詰めて壺の口を和紙で糊付けにして封印し、その壺を涼しく暗い場所に置いて暑い夏を越したのでした。そうすることによって茶壺に詰まった葉茶は熟成を深めたのです。秋、11月、茶家では茶壺の封を切って新しいお茶を取出します。昔はその時からお茶を、一年間大切に飲み継がなければならなかったのです。茶人にとって口切りは、待ちに待った新しいお茶との邂逅であったのです。その喜びを厳粛に受け止め、茶の祝いとして味わいを形にして伝えているのが口切りの茶事です。 『茶の湯のことば』淡交社刊より
この飾り紐の結びは真・行・草とあり、覚えるのが大変です・・・。ああ、茶壺が欲しい・・・。
次回は「じ」