あの悲惨な戦争が敗戦で終わって64年。当時私は15歳で海軍予科練習生。大分県・佐伯海軍航空隊で敗戦を知る。
暑い日差しの中、防空壕堀りや、僅かに残っていた戦闘機を格納庫に隠すため、偽装のため木や葉っぱを機体に被せる作業をしていた。
戦後64年、一度も外国と戦うことなく、平和が維持できたことは嬉しい。二度と戦争をしてはならない。憲法の前文を国の宝として、九条を護り続けて欲しい。
自衛の為の戦争と理屈をつけても、所詮は大量殺人の戦争。人が殺し合う戦いは決してしてはならない。
戦争を体験した一人の人間として、後世に伝えなければならないと思う。
暑い日差しの中、防空壕堀りや、僅かに残っていた戦闘機を格納庫に隠すため、偽装のため木や葉っぱを機体に被せる作業をしていた。
戦後64年、一度も外国と戦うことなく、平和が維持できたことは嬉しい。二度と戦争をしてはならない。憲法の前文を国の宝として、九条を護り続けて欲しい。
自衛の為の戦争と理屈をつけても、所詮は大量殺人の戦争。人が殺し合う戦いは決してしてはならない。
戦争を体験した一人の人間として、後世に伝えなければならないと思う。