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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

無観客演劇

2020-05-01 | 演劇
無人の森で朽ちた樹が倒れるとき音はするか、という哲学上の問いがある。
存在は認知があってはじめて成り立つ。誰も聞くものがいなければ音はしない、というのが答えらしいのだが、これを援用して、観客のいない劇場で果たして演劇は成立するだろうか、ということを仲間と議論したことがある。
たった一人だけでも観客がいれば演劇は成立する、というのがその時の結論だったが、実際にはどうなのだろう。

大昔の話で恐縮だが、JRが国鉄だった頃、全面ストライキに突入し、首都圏の交通網がストップする中、無謀にも公演を強行したことがある。
改築前の池袋・シアターグリーンでの公演だったが、20人ほどの出演者に対し、来場してくれた観客はわずか5人いたかどうか。
そうした時に冷静でいられないのが役者というもので、白々とした客席を何とか熱くしようとした演技は空回りし、その日の芝居は荒れに荒れた。
理論も技術も未熟だったがゆえの失敗談なのだが、返す返すも演劇は観客との双方向のコミュニケーションによって成り立つものだということを痛感した。

現在、新型コロナウィルスの影響であらゆる活動が自粛を余儀なくされるなか、多くの表現者=演劇人、音楽家、アーティストによってオンライン発信をはじめ、様々な媒体を駆使した表現が工夫され、模索されている。
その試みのすべてを私は肯定したいと思うが、自粛期間が長期化し、表現のあり方が多様化した結果、表現の発信者と受け手の間にあった前提条件そのものがいつの間にか変異してしまうのではないかとの危惧を抱くのは私だけだろうか。
さらに、劇場や映画館、ライブハウスなどに抱く人々の意識の変化によって、それら施設のあり方そのものがどのように変容してしまうのか、今は想像することも出来ない。


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