seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

図書館まで散歩【日記】

2021-08-12 | 日記
 このところ気力、体力の減退もあり、なかなかまとまった文章が書けなくなっている。コロナ禍のもと、思うように出かけられないこともあり、薬の副作用もあり……、ということで家に閉じこもってばかりの生活である。もともとこの《めもらんど》は自分のための備忘録として書き溜めているものなのだが、少し肩の力を抜いて日記を書いてみることにする。何の変哲もない日常生活を書き連ねることにも何らかの意味があるかも知れない。文字数も一日当たり400字前後が目安である。

 昨日は午後、思い立って徒歩で往復2000歩圏内の書店と図書館に出かけた。いつもうっかり寝てしまう時間帯にあえて出かけるというのは、案外良いことかも知れないのだが、どうだろう。書店では「群像9月号」を買った。すべて読めるはずもないことは分かっているのだが、あとで後悔するよりは、という思いで買う。気がかりは小遣いのことであるが、まあ、それはそれで……。
 図書館では、トーマス・マンの短編集をチェック。そのほか旧約聖書など。
 相変わらずの猛暑ではあるのだが、意を決して出かけてしまえば何とかなるものである。問題は、新型コロナウイルスへの対策である。蔓延しつつあるデルタ株のウイルスは、これまで報告されていなかったような場所でも感染するという話もあり、図書館にしろ、書店にしろ、多くの人が出入りする場所であることに変わりはないのである。
 今日発表の東京都の新規感染者数は4989人。重症者数も218人と増加の一途を辿っており、対策は急務なのだが、どうにも歯がゆいものがある。

 午後、「文學界9月号」に載っている映画「ドライブ・マイ・カー」に関する濱口竜介監督と仏文学者・野崎歓氏の対談と瀬尾夏美氏と佐々木敦氏の批評を読む。面白い。演出論、演劇論としての映画論とでもいえばよいのか。映画はまだ観ていないのだが、映画自体が演出や演劇を通してひとの声を聴き、共振することの意味を問いかけるものであるようだ。
 映画は今月20日に公開とのことだが、見に行けるかな……。